堀川に架かる「五條橋」を渡るとその先に、西に向けて伸びる「円頓
寺商店街」の、年季の入った古びた看板が見えてくる。
丁度名古屋駅と名古屋城を結ぶ中間地点にあり、今なお昭和レトロを感
じさせる懐かしい姿を留める商店街だ。
元々は、清須から移った商人が住み着いた町と言われている。
老舗も多く、明治に入ると更に多くの店舗が創業した。
古くは「えんどんじ」と呼ばれていたが、今では「えんどうじ」が通り
名となっている。
通りは円頓寺筋と呼ばれる門前町である。
東西に伸びる道は、その西方の円頓寺本町商店街、西円頓寺商店街へと
続き、昔ながらのアーケードを構え、どこか懐かしい、ほっとする優し
い顔を見せている。
市内に有る「大須商店街」「瑞穂商店街」と並び、三大商店街の一つ
に数えられ、名古屋では最も古い商店街といわれている。
そんな商店街の中程に、「長久山円頓寺」と言う日蓮宗の寺がある。
商店街の名の謂れとなる寺である。
名古屋開府後の承応3(1654)年の開基で、当初普敬院と称していた。
名古屋城天守閣の建造の折り、余材を拝領し、鬼子母神像を刻み本堂
に安置したとされている。神像は毎月18日に公開されている。
商店街は、瀬戸電の堀川駅や、堀川の川湊からも近く、名鉄の江川線
(後の市電の路線)が開通しその電停や市バスのバス停も近かった。
界隈には、女性の神様「浅間神社」や、名古屋弁のおみくじで有名な
「金刀比羅神社」、「多賀の宮」、「真言宗高田派愛知別院」等がある。
参拝ついでに商店街に立寄る人々も多かったと言う。
名古屋城下の下町として、商店街は人々で溢れ、盛り場としても大いに
盛り上がった時期があった。(続)
にほんブログ村
寺商店街」の、年季の入った古びた看板が見えてくる。
丁度名古屋駅と名古屋城を結ぶ中間地点にあり、今なお昭和レトロを感
じさせる懐かしい姿を留める商店街だ。
元々は、清須から移った商人が住み着いた町と言われている。
老舗も多く、明治に入ると更に多くの店舗が創業した。
古くは「えんどんじ」と呼ばれていたが、今では「えんどうじ」が通り
名となっている。
通りは円頓寺筋と呼ばれる門前町である。
東西に伸びる道は、その西方の円頓寺本町商店街、西円頓寺商店街へと
続き、昔ながらのアーケードを構え、どこか懐かしい、ほっとする優し
い顔を見せている。
市内に有る「大須商店街」「瑞穂商店街」と並び、三大商店街の一つ
に数えられ、名古屋では最も古い商店街といわれている。
そんな商店街の中程に、「長久山円頓寺」と言う日蓮宗の寺がある。
商店街の名の謂れとなる寺である。
名古屋開府後の承応3(1654)年の開基で、当初普敬院と称していた。
名古屋城天守閣の建造の折り、余材を拝領し、鬼子母神像を刻み本堂
に安置したとされている。神像は毎月18日に公開されている。
商店街は、瀬戸電の堀川駅や、堀川の川湊からも近く、名鉄の江川線
(後の市電の路線)が開通しその電停や市バスのバス停も近かった。
界隈には、女性の神様「浅間神社」や、名古屋弁のおみくじで有名な
「金刀比羅神社」、「多賀の宮」、「真言宗高田派愛知別院」等がある。
参拝ついでに商店街に立寄る人々も多かったと言う。
名古屋城下の下町として、商店街は人々で溢れ、盛り場としても大いに
盛り上がった時期があった。(続)
にほんブログ村