鈴鹿の難所を控えた坂下宿が、多くの旅人で賑わったのは、遠い日の
ことである。やや上り気味の宿内の通りを歩いていても、広々とした道
路を行き交う車を見るのは稀で、人の姿さえ殆ど目にすることが無い。

宿場には松屋、大竹屋、梅屋の三軒の本陣や小竹脇本陣もあり、豪華
な布陣であったが今に残る遺構は何も無い。
ただ石碑が建つのみで、広々とした跡地は茶畑野菜畑に転用されている。

「大竹、小竹とておおきなる旅舎あり」
広大さを誇り、鈴鹿馬子唄にも謳われ、東海道名所図会でも細かに紹介さ
れた旅人の憧れの宿、大竹屋は取り壊され、畑に変わり今は見る影も無い。

宿の中程には、石工・近国作と伝わる庚申像で知られた「法安寺」と
云う禅宗の寺が有る。寺の門は、嘗て本陣であった松屋の玄関を、昭和
35(1960)年に移したものだという。豪華すぎる庫裏玄関が、この宿場
に残る唯一本陣の遺構と云う。

関駅前を中心に、宿場町の観光スポットを巡り、その後西の追分けを
経て、国道や旧道を抜け、坂下公民館前まで、市のコミュニティバスが
一日4本運行されている。坂下からの折り返し便であろうか、途中の旧
道でそのバスとすれ違ったが、そこには乗客の姿は無かった。

嘗ての宿場町に、この路線バスで観光に訪れる人は、極めて稀という。
旧宿場町には、これといった観光施設もなく、それどころかコンビニも、
食事処どころも、スーパーさえも無いのだから致し方ないのか。
難所の峠を控え大名達や、峠越えの旅人の疲れを癒やし、繁華を誇った
宿場町だけに、この寂れようは余りにも悲しい。(続)


にほんブログ村
ことである。やや上り気味の宿内の通りを歩いていても、広々とした道
路を行き交う車を見るのは稀で、人の姿さえ殆ど目にすることが無い。

宿場には松屋、大竹屋、梅屋の三軒の本陣や小竹脇本陣もあり、豪華
な布陣であったが今に残る遺構は何も無い。
ただ石碑が建つのみで、広々とした跡地は茶畑野菜畑に転用されている。

「大竹、小竹とておおきなる旅舎あり」
広大さを誇り、鈴鹿馬子唄にも謳われ、東海道名所図会でも細かに紹介さ
れた旅人の憧れの宿、大竹屋は取り壊され、畑に変わり今は見る影も無い。

宿の中程には、石工・近国作と伝わる庚申像で知られた「法安寺」と
云う禅宗の寺が有る。寺の門は、嘗て本陣であった松屋の玄関を、昭和
35(1960)年に移したものだという。豪華すぎる庫裏玄関が、この宿場
に残る唯一本陣の遺構と云う。

関駅前を中心に、宿場町の観光スポットを巡り、その後西の追分けを
経て、国道や旧道を抜け、坂下公民館前まで、市のコミュニティバスが
一日4本運行されている。坂下からの折り返し便であろうか、途中の旧
道でそのバスとすれ違ったが、そこには乗客の姿は無かった。

嘗ての宿場町に、この路線バスで観光に訪れる人は、極めて稀という。
旧宿場町には、これといった観光施設もなく、それどころかコンビニも、
食事処どころも、スーパーさえも無いのだから致し方ないのか。
難所の峠を控え大名達や、峠越えの旅人の疲れを癒やし、繁華を誇った
宿場町だけに、この寂れようは余りにも悲しい。(続)


