旭東町交差点で県道45号線はやや左に曲がるが、鉄道は逆の右方向に
進路を取る。角のコンビニの駐車場を斜めに横切り、その南の住宅街へ
と入っていく。コンビニの東側、南に向かう狭い一車線の通りを行くと
荒神社があり、当初はこの辺りで南から来た線路が西に大きくカーブし
て終着の桜橋駅に向かっていたらしい。
そこには、岡山ガス会社への引き込み線が有り、燃料となる石炭を運
んでいた。北側には鐘淵紡績岡山工場も有り燃料を運んでいたらしいが、
専用の引き込み線が有ったかは良く解らない。
因みに岡山ガスは今でも当地に本社と工場を構えているが、カネボウ
の跡地は住宅団地に変わっている。
国が後押しする軽便鉄道敷設は全国でブームとなっていた。
そんな中、大正4(1915)年8月に開通した「三蟠鉄道」は、その後京
橋に近い国清寺まで延伸され、路面電車との接続が叶う。
これに伴い、湊と桜橋の間は開通から僅か7年半で廃線となり、駅も廃
止され駅舎は解体され再利用される事になる。
宇喜多直家により山陽道が付け替えられ、城下を流れる旭川には京橋
が架けられたが、それ以外の橋が架けられる事は無かった。
旭川は水運の要で、舟運の妨げになる為である。
下流の橋は、嘗て鉄道の駅が有った北側に、昭和35(1960)年桜橋が
架けられるまで待つことになる。
その3年後には、京橋の下流に新たな2号線の新京橋も架けられた。
昭和47(1972)年には、更に下流に国道2号線岡山バイパスの旭川大
橋が、平成4(1992)年には最下流に岡南大橋が架かかり、今では下流
に4本の橋が旭川を跨いでいる。
そして今は、桜橋の下流に5本目の橋の工事が進められている。(続)
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