三蟠鉄道の各駅では、駅周辺の観光案内として寺社や史蹟が多く紹介
されている。起点より二哩七分(4.4㎞)、当時の上道郡三蟠村に設けら
れた「宮道駅」も例外ではない。
国道2号線岡山バイパスを潜り、宮道のバス停が有る辺りが丁度その
距離で、この辺りに駅が有ったのではと推測する。
この駅は、神社の参道への最寄り駅であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/e5/dd68f28c20b338bfa6f7c31e84df1c91.jpg)
ここでは、駅より東二十五丁(凡そ2.7㎞)の、「縣社沖田神社」が
案内されている。干拓地に開かれた直線道が延びていて、百間川に突き
当たる少し手前に社は鎮座している。
岡山藩主・池田綱政の命により藩郡代・津田永忠が奉行となり、凡そ
2000町歩が干拓され、新田として開発されたのが沖新田である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ce/140aaa2e427b31c81e01c2dd7f8e8692.jpg)
当時の沖新田六ケ村の総鎮守・産土神として、綱政の命により「沖田
神社」が、元禄7(1694)年建立された。
当初は福島にあったが、後にここより南の沖元に遷された。
しかし沖元は土地が低く度々冠水被害を受けるので、15年後に当地に遷
座され今に到っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/6d/c173536fb9e42c205f0297ca79b4eeec.jpg)
大鳥居を潜ると正面に、平成23(2011)年に新築された荘厳な権現
造りの社殿が聳えている。一番手前が拝殿その奥に釣殿、弊殿と続き、
最奥がご本殿である。
境内には干拓の功労者、津田永忠の像も祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/e6/ae49c94c625c2e5609e58216e3db591e.jpg)
末社も多く、中でも最大は道通宮で、豊臣秀吉の水攻めで知られる備
中高松城主・清水宗治の次男「長九郎」所縁の社である。
哀れを誘うのが、本殿の背後にひっそりと佇む「沖田姫神社」である。
難航した最後の潮止め工事では、「きた」という若い女性が人柱として、
龍神に捧げられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/91/d91c22cea047e3b17fcb8ec4c1402249.jpg)
神社の本殿下に五輪塔と祠があり、人柱となった女性を祀ったものと
の説があるが、何れも伝説で史実かは不明らしい。
しかし「きた」は、干拓地の鎮守神「おきた姫」として、今では当神
社の祭神となり、地元では深く敬愛されている。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/43/67583becde2fd61c4f5a10382ad37d6f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
にほんブログ村
されている。起点より二哩七分(4.4㎞)、当時の上道郡三蟠村に設けら
れた「宮道駅」も例外ではない。
国道2号線岡山バイパスを潜り、宮道のバス停が有る辺りが丁度その
距離で、この辺りに駅が有ったのではと推測する。
この駅は、神社の参道への最寄り駅であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/e5/dd68f28c20b338bfa6f7c31e84df1c91.jpg)
ここでは、駅より東二十五丁(凡そ2.7㎞)の、「縣社沖田神社」が
案内されている。干拓地に開かれた直線道が延びていて、百間川に突き
当たる少し手前に社は鎮座している。
岡山藩主・池田綱政の命により藩郡代・津田永忠が奉行となり、凡そ
2000町歩が干拓され、新田として開発されたのが沖新田である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/ce/140aaa2e427b31c81e01c2dd7f8e8692.jpg)
当時の沖新田六ケ村の総鎮守・産土神として、綱政の命により「沖田
神社」が、元禄7(1694)年建立された。
当初は福島にあったが、後にここより南の沖元に遷された。
しかし沖元は土地が低く度々冠水被害を受けるので、15年後に当地に遷
座され今に到っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/6d/c173536fb9e42c205f0297ca79b4eeec.jpg)
大鳥居を潜ると正面に、平成23(2011)年に新築された荘厳な権現
造りの社殿が聳えている。一番手前が拝殿その奥に釣殿、弊殿と続き、
最奥がご本殿である。
境内には干拓の功労者、津田永忠の像も祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/e6/ae49c94c625c2e5609e58216e3db591e.jpg)
末社も多く、中でも最大は道通宮で、豊臣秀吉の水攻めで知られる備
中高松城主・清水宗治の次男「長九郎」所縁の社である。
哀れを誘うのが、本殿の背後にひっそりと佇む「沖田姫神社」である。
難航した最後の潮止め工事では、「きた」という若い女性が人柱として、
龍神に捧げられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/91/d91c22cea047e3b17fcb8ec4c1402249.jpg)
神社の本殿下に五輪塔と祠があり、人柱となった女性を祀ったものと
の説があるが、何れも伝説で史実かは不明らしい。
しかし「きた」は、干拓地の鎮守神「おきた姫」として、今では当神
社の祭神となり、地元では深く敬愛されている。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/43/67583becde2fd61c4f5a10382ad37d6f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
![にほんブログ村 旅行ブログへ](http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif)