簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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上平井駅(三蟠鉄道廃線跡を歩く)

2023-10-11 | Weblog
 県道45号岡山玉野線(通称「産業道路」)の倉安川交差点を西に渡る
と、その南西角に当時の路盤が一部残され、復元されたレールと貨車が
展示されている。そばには駅名標を模した説明書や、岡山市が設置した
「岡山歴史散歩」の案内板がある。



 三蟠鉄道の営業距離は7㎞余りと短く、多くの車輌を必要としなかっ
たのか、所有機関車は僅か3両だという。
その他に貨車や客車を所有していたが、多くは貨客混合列車での運行が
行なわれていたらしい。この貨車が当時使われていた物なのかは知らな
いが、おもちゃの様な小さなトロッコである。



 廃線跡はほんの僅かなもので、その先は県道沿いに建ち並ぶ大型店舗
の中で、痕跡は消えている。県道を外れ、その西側の堤防道路に出て南
に進むと、眼鏡店とスーパーの境辺りの用水路に、橋台跡が残されてい
るのがわかる。



 残念なことに説明板が設けられているが、文字が消えかかり読み辛い。
訪れた日は、周囲は荒れ放題で伸び始めた夏草に覆われていた。
 後日再び訪ねて見ると、雑草は刈り取られ、綺麗に清掃されていた。
町内会か保存会の方がボランティアでされている様で、遺産を残そうと
する思いが伝わってくる。



 国清寺駅より一哩五分(2.4㎞)の所に「上平井駅」があった。
場所的にはホームセンターの少し南西辺りだが、周囲は住宅が建て込み、
場所の特定は困難だ。
 
 開業当初は上屋敷駅と言ったが 大正13(1924)年に改称された。
駅の観光案内には、近くにある老松「常山蛇勢松」が備前八景の一つと
書かれていたらしい。



 この先沿線に「平井山・妙広寺」が有り、境内に樹齢数百年の松が四
方に勢い良く枝を伸ばして生えていたが、戦後枯れて切り倒したという。
寺の境内には、その名残の石碑が残されているそうだ。
因みに「常山蛇勢(じょうざんのだせい)」は、「隙が無いことの例え」
らしい。(続)





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