「高札場」とは、幕府や諸藩の藩主が決めた定め、法度(はっと)や
掟書(おきてがき)等を木の板札に書き留め、人目の付くよう高く掲げ
ておいた場所のことである。町民や村人、或いは旅人が従わなければな
らない事柄や、その地元の特有な規則や制限を掲げていた。
高札は、法令を民衆に告示し、趣旨を徹底、守らせると同時に、犯せ
ば重い刑に処せられる事を認知させる目的があった。
又幕府や藩など大名の存在感、権威を示す役割もあったと言われている。
一般的には、宿場や町の中心・出入り口、街道の交差点、関所や湊、
川越え場等主要な施設の近く等、人々の往来の多い、目立つ場所に立
てられた。宿場では最低でも1カ所以上、設けられていた。
木製の板に墨で書かれていて、時と共に劣化するが、勝手な書き直し
は厳しく禁じられていて、領主の許可無くば出来なかったという。
その為風雨で傷まないよう、多くの高札は、高さ約3~4m、間口は約
3~5m、奥行き約1~2m程度の屋根付き建物(標準的なサイズ)に
納められている。
古くは延暦年間に、高札(制札)を掲示していたとの記録も有ると
いう。
広く取り入れられたのは、街道や宿場が整備された江戸時代以降らしく、
幕府は「高札番」という役職を置き、高札の新設管理・修繕整備等の業
務を行わせている。
しかし、明治7(1874)年に入ると、政府は高札の廃止を定めたため、
旧宿場町等の高札場は悉く壊され、高札は撤去された。
その為現存は、(実物を見た事は無いが)甲州街道府中宿等極めて少な
いらしく、今日旧宿場町で見られるのは、殆どがその当時の復元である。
高札場は「札の辻」の地名にその名残を留めている所も多い。(続)
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