「駅制」により諸街道の整備が進むと、重要な交通の要所や交差点、
大河の前後の渡河地点等にも同様な機能を持った拠点が作られるように
なる。宿泊や情報伝達の基地として、一定数の馬や人夫が置かれるよう
になる。
其の機能は江戸幕府が発した「宿駅伝馬制度」として慶長6(1601)
年、整備・制度化された。
街道が整備され、拠点毎に宿駅が設けられると、庶民の間でも往来の
行き来が始まるようになる。宿駅には人々が集い、その人目当てに商う
店が出来、市も開かれたりした。しかしこうして人が集まると、その集
落の宿泊機能は、当然軍営だけでは賄え切れなくなる。
江戸時代、東海道には五十三の「宿場」があった。
街道沿いの要地にあり、幕府が認め、その支配下に置いて管理した集落
のことを「宿場」と呼んだが、ここでは伝馬朱印状を持つ公用の書状や、
荷物を次の宿場まで届ける為に必要な人馬を用意する義務が課せられた。
その代わりに宿場の人々には、屋敷地に課税される年貢が免除され、
旅人の宿泊の為の宿の経営、お店の開店、荷物を運んで定められた収入
を得るという特典が与えられた。
賄いきれなく成った軍営に変わり民営の旅館も出現し、「宿場」とし
ての機能が充実していくことになる。
余談になるが、「道路にも鉄道のようにトイレの有る駅が有っても良
いのでは」として生まれたのが「道の駅」で、その発想の原点は古代律
令国家の「駅制」に基づくらしい。
当初は、単なる駐車場と休憩施設が有るだけであったが、今では地域
の情報発信基地として、食事や買い物に留まらず、遊具や温泉を備えた
施設まで現われ、全国に1200カ所以上も有ると言う。
(写真:真庭市 出雲街道 美作追分)
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