「淀(よど)」は、京都市伏見区の南西部に位置する地域である。
競馬ファンの間では、「京都競馬場」がある場所としての知名度が高く、
今では「淀」という地名がそのまま競馬場の通称になっている。
元々この辺りは淀川水系の桂川、宇治川、木津川の三川が合流する標
高10m程という低い三角州で、流れはいつも澱んでいたことから「淀」
呼ばれるようになった。
明治に入ると初期の頃に木津川が、後期には宇治川がそれぞれ付け替
えられているので、この辺りの地形は大きく変化している。
淀の「納所」は、京の南玄関口として古くから軍事的な要衝であった。
又川湊が開かれ、陸路の街道も通り、物流的にも人事的にも重要な場所
とされていた。
ところが川の付け替えで嘗ての淀城の城下町や、淀宿当時の遺構は殆
ど失われ、何も残ってはい無いという。
見附の場所や宿場の中心が何所なのかも良く分かっていないらしい。
「納所」は「のうそ」と読む。
昔当地では、淀の川湊に水揚げされ、その後平安京へ運ぶ様々な物資が
収められ倉庫が立ち並んでいた。この物を「納」める倉庫が立ち並んで
いた「所」という意味である。
因みに、季節に先駆け出始めた野菜や魚などを「はしり」と言うが、
その昔は、三十石舟で運ばれた生鮮食品は、淀の川湊に陸揚げされると
鮮度を落とさないよう、都まで走って運ばれたという。
このことが、この「はしり」の語源とされている。
クリーンセンターの施設内に迷い込み、思わぬ回り道で正午を大きく
過ぎたにも関わらず、昼食も食べそこねてしまった。
食事場所を探しに、「納所」の交差点から京阪本線の「淀駅」の高架
を潜り、その競馬場が見える場所にやってきた。(続)
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競馬ファンの間では、「京都競馬場」がある場所としての知名度が高く、
今では「淀」という地名がそのまま競馬場の通称になっている。
元々この辺りは淀川水系の桂川、宇治川、木津川の三川が合流する標
高10m程という低い三角州で、流れはいつも澱んでいたことから「淀」
呼ばれるようになった。
明治に入ると初期の頃に木津川が、後期には宇治川がそれぞれ付け替
えられているので、この辺りの地形は大きく変化している。
淀の「納所」は、京の南玄関口として古くから軍事的な要衝であった。
又川湊が開かれ、陸路の街道も通り、物流的にも人事的にも重要な場所
とされていた。
ところが川の付け替えで嘗ての淀城の城下町や、淀宿当時の遺構は殆
ど失われ、何も残ってはい無いという。
見附の場所や宿場の中心が何所なのかも良く分かっていないらしい。
「納所」は「のうそ」と読む。
昔当地では、淀の川湊に水揚げされ、その後平安京へ運ぶ様々な物資が
収められ倉庫が立ち並んでいた。この物を「納」める倉庫が立ち並んで
いた「所」という意味である。
因みに、季節に先駆け出始めた野菜や魚などを「はしり」と言うが、
その昔は、三十石舟で運ばれた生鮮食品は、淀の川湊に陸揚げされると
鮮度を落とさないよう、都まで走って運ばれたという。
このことが、この「はしり」の語源とされている。
クリーンセンターの施設内に迷い込み、思わぬ回り道で正午を大きく
過ぎたにも関わらず、昼食も食べそこねてしまった。
食事場所を探しに、「納所」の交差点から京阪本線の「淀駅」の高架
を潜り、その競馬場が見える場所にやってきた。(続)
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