八幡を抜ける東海道は、本来は木津川の堤防上(現在の府道13号)
の道を西進するのが正しいようだ。
そんな堤防上の道の途中左側に、樹齢千年という楠の木の大木があっ
たらしい。昔の街道は御幸橋北詰付近から、この楠の木の辺りまで真っ
直ぐな道で繋がっていたと言う。
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とはいえ、当時は川もまだ幾つかに分流し、流れも定まってはいず、
このような巨大で堅固な堤防ではなかった筈だ。
僅かばかりの盛り土で、その上に街道が通され、それに沿って橋本の
町並みが続いていたのでは、などと当時の情景を思い描いてみる。
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奥ノ町から西山本に入る辺りで府道13号から派生した道が一本、堤防
下に下りている。橋本の町に入ると大谷川を越え、狭い旧道へと続いて
いるので、これが本来の街道であろう。
大木は一里塚ではないそうだが、町の入り口の目印になっていたと言う。
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八幡の町を後にしてからは、通行量の多い府道を歩くには余りにも危
険が多く、車の少ない堤防下の道で橋本江尻から奥ノ町を抜けて来た。
旧道は狭く細く緩くうねりながら抜けていて、道沿いには高層階の建
物はなく、民家は比較的古い「ザ、昭和感」の物ばかりで、どこか旧道
らしい趣があった。
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八幡から続く橋本も、対岸に西国街道の山崎宿を控えた要衝の地で、
町は古くから栄えていた。
鳥羽伏見の戦いでは戦禍を受け焼けたようだが、先の大戦では難は逃
れたのか、町並に近代的な新しさは感じられない。
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そんな道沿いには、石清水八幡宮へ導く古い道標が残っている。
又文政5(1882)年に建立された常夜灯などもあり、すっかり町並に
溶け込んでいて、街道歩きとしては面白かった。
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ただ、堤防の上の道のことはノーマークで、気付くこともなく、この
木は見落としてしまったのが残念だ。(続)
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