簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

堤防下の古い町(東海道五十七次歩き旅・山城国)

2025-02-28 | Weblog

 八幡を抜ける東海道は、本来は木津川の堤防上(現在の府道13号)
の道を西進するのが正しいようだ。

 そんな堤防上の道の途中左側に、樹齢千年という楠の木の大木があっ
たらしい。昔の街道は御幸橋北詰付近から、この楠の木の辺りまで真っ
直ぐな道で繋がっていたと言う。



 とはいえ、当時は川もまだ幾つかに分流し、流れも定まってはいず、
このような巨大で堅固な堤防ではなかった筈だ。
 僅かばかりの盛り土で、その上に街道が通され、それに沿って橋本の
町並みが続いていたのでは、などと当時の情景を思い描いてみる。 



 奥ノ町から西山本に入る辺りで府道13号から派生した道が一本、堤防
下に下りている。橋本の町に入ると大谷川を越え、狭い旧道へと続いて
いるので、これが本来の街道であろう。
大木は一里塚ではないそうだが、町の入り口の目印になっていたと言う。



 八幡の町を後にしてからは、通行量の多い府道を歩くには余りにも危
険が多く、車の少ない堤防下の道で橋本江尻から奥ノ町を抜けて来た。

 旧道は狭く細く緩くうねりながら抜けていて、道沿いには高層階の建
物はなく、民家は比較的古い「ザ、昭和感」の物ばかりで、どこか旧道
らしい趣があった。



 八幡から続く橋本も、対岸に西国街道の山崎宿を控えた要衝の地で、
町は古くから栄えていた。
 鳥羽伏見の戦いでは戦禍を受け焼けたようだが、先の大戦では難は逃
れたのか、町並に近代的な新しさは感じられない。


 
 そんな道沿いには、石清水八幡宮へ導く古い道標が残っている。
又文政5(1882)年に建立された常夜灯などもあり、すっかり町並に
溶け込んでいて、街道歩きとしては面白かった。



 ただ、堤防の上の道のことはノーマークで、気付くこともなく、この
木は見落としてしまったのが残念だ。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 二宮忠八 所縁の地(東海道... | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事