簾 満月「バスの助手席」

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長岡駅 (西大寺鉄道廃線跡を歩く)

2021-10-01 | Weblog


 幡多駅が大師駅に改称された同年、仮駅で営業を始めていた後楽園駅
が新駅に移行し、これでようやく西大寺と後楽園までの間が竣成した。
それは、西大寺と長岡間で、一日36回運転を初めた4年後の、大正4年
(1915)年11月の事である。



 大師駅跡を背に、線路跡を思わす直線的な道路を進み、乙多見の公会
堂辺りを過ぎると、左手からは山陽新幹線の高架と、その下を並走する
山陽本線が次第に近づいてくる。
やがて目の前は整然と区画された工業団地で、工場等が見えてきた。



 旧線路はここを突き抜けていたのであろうが、周辺にはその欠片も残
されていない。それどころか線路跡を特定することさえ難しい。
団地内の道路を迂回しながら、JR山陽本線の東岡山駅前の広場に出る。

 嘗てこの辺りに西大寺鉄道の「長岡」駅が有った。
今ではその面影はどこにもなく、広い駐車場になっている。



 ここは西大寺鉄道では唯一の、国鉄との接続駅であった。
当時国鉄の駅名はその地名から「長岡」と呼ばれていたが、紛らわしい
として後に財田(さいでん)と改称されている。

 現在の「東岡山」に改称されるのは昭和36(1961)年で、これはその
後の運命を決する赤穂線が、延伸開通し乗り入れる1年前のことだ。



 当初はこの駅で国鉄から乗り継いで、西大寺に向かう乗客に大きな期
待が掛けられていたようで、その為のこの区間の先行開業でもあった。
事実この頃、路線沿いには競合する路線バスも無かった事から、鉄道は
文字通りドル箱路線となった。
西大寺会陽(はだか祭)では、その参拝客輸送の収入が、一年分の収入
の大部分を賄っていたと言う。(続)





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