簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

東西の結節点・河内長野(四国遍路の旅・高野山編)

2015-12-09 | Weblog


 錦織一里塚を過ぎ、近鉄線や国道170号線にほぼ沿った道を歩くこと2キ
ロ余り、右から南海高野線も近づいてくる。
菊水町の交差点で右折し、その南海線を超え暫く進むと、銀行やオフイス、
飲食店が取り巻く賑やかな駅前の広場に入って来た。
河内長野の駅前で有る。
長い間並走してきた近鉄長野線は終点で、ここからは高野山に向かう南海
高野線への乗換駅と言うことになる。



 駅前ロータリーの一角に、高野街道合流の石碑が立ち、それには「この
付近、東と西の高野街道合流地点 高野山女人堂へ 南約35km」と書か
れていた。





 京都府の石清水八幡宮から56kmほどの「東高野街道」と、堺市の大小路
から20Kmほどの「西高野街道」はこの地点で合流し、ここからは「高野街道」
として一本の道となり、高野山不動坂口を目指すことになる。
そこには現在唯一女人堂が残されている。



 奥河内と言われるここ長野は、昔から東・西高野街道や「岩湧街道」(ここ
から九重峠を越え、高野口に至る街道)、「大沢街道」(和泉から大和五条
の間、河内長野を東西に貫く街道)が走り大そう賑わったと言うから、この
付近に宿場町が開けていたのかと思ったが、どうもそうではなさそうだ。(続)







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