簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

招魂碑(JR乗り潰しの旅・信越本線)

2019-11-20 | Weblog

 途中何回か休憩をしドライブインに立ち寄り昼食をとり、彼方此方
写真を撮りながら、横川駅まで残り400mと言う地点まで下ってきた。
のんびりと歩いてきたのでこれまでに2時間余り要しているが、普通に
下るだけならば1時間半ほども有れば充分に行けそうだ。





 碓氷峠を越えるアプト式鉄道は、26のトンネルと18の橋梁で完成した。
そんな施設も鉄道の廃止と共に壊され、或は時の経過と共に朽ち果てて、
気が付けば半分以上が消えていった。
そんな中、横川側のトンネルは当時の姿をとどめながら現存し、全てが
重要文化財に指定されている。





 また橋梁も全線に渡り7カ所が現存し、内5カ所が文化財の指定を受け
ている。いまた観光名所となっているめがね橋も、明治の地震を受け橋
台や橋脚に補強工事が施されてはいるが、完成当時の姿を残す紛れもな
く文化財である。

 こんな難工事を伴った鉄道施設は、僅か1年6ヶ月という驚異的な短期
間で完成した。日に1万数千人もの人々を動員した突貫工事が行われた。
その中心にいたのは鹿島岩蔵と言う人で鹿島組の創始者だそうだ。その
ほかにも有馬組や日本土木などが工事を請け負ったと伝えられている。





 工事の陰には多くの関係者の犠牲が有ったことを忘れてはならないが、
そんな犠牲者の為の、鹿島組の「招魂碑」だけが横川駅近くに、「碓氷
峠交通殉難者」の鎮魂碑と共に残されている。その犠牲者の数は五百名
と伝えられている。
しかし、「二十数名に過ぎず・・・」との資料も残されていて、実態は
良く解ってはいないらしく、たった一つの招魂碑と共に今も謎となって
いる。(続)




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