招魂碑を右に見ながら旧道に出て、少し下ると中山道碓氷関所跡
(東門)が有る。江戸時代街道の整備に合わせ、幕府は治安の維持
管理を目的に各地に関所を設けた。
取分け関東入国の抑えとして重要な関所と言われたのが、東海道の
箱根峠に設けられた箱根関所と、浜名湖の今切の場所に置かれた新
居関所である。
五街道の一つ中山道には、木曽の山中の福島に福島関所が、また
この碓氷峠にも碓氷関所が置かれ、これらを総称して二本四大関所
と呼ばれていた。
関所跡と言われる地には当時から残されていた門の台石、柱や扉、
屋根材の一部などを使った門が建てられている。
元々は街道を塞ぐように建てられていたものをこの地に移転再建した
ものだ。総ケヤキ材の高麗門形式で、格子の扉が付けられている。
そこには関所資料展示室も有り、公開されている。
その入口付近には「おじぎ石」が置かれて居る。
説明によると通行人がこの石の前に座り、手をついて手形を差し出し
たのだと言う。
碓氷峠を下り、碓氷関所を無事通り抜ければ、江戸から数えて第17
番目の坂本宿である。峠を下った旅人は、充分な休息を取り、江戸を
経った旅人は、ここで充分に英気を養い、いよいよ中山道最大の難所、
この碓氷峠越えに挑むことになる。
坂本宿は6町19間の街道沿いに、本陣、脇本陣各二軒、旅籠四十軒、
戸数一六二軒、人口七百人余りで、中規模の宿場町であったようだ。
旅籠の数が多いのは峠を控え、体を休める人々で賑わったかららしい。
宿場の宿からはこれから超える刎石坂、それに続く碓氷峠が遠望でき、
旅人はその厳しさを思い浮かべていた事だろう。その厳しさは明治の機
関車も変わらなかったようだ。(JR乗り潰しの旅・信越本線 完)
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