東海道和田の道標を右に折れると街道は亀山宿を目指し標高は30m
ほどのこの地から軽い登りの坂道となる。
この辺りの情景は、広重の東海道五十三次では、亀山の一つとして
「和田の坂道」の名で描かれている坂で、この先の亀山本町辺りまで
登り、そこは標高70mを越える。
そんな坂の途中に、復元された和田の一里塚がある。
近世までこの辺りはまだ松並木も残っていたらしいが、道路の拡幅工事
ですべて切り払われ、今日では一本も残されていない。
道が広がり、両側には人家も増え、旧道は亀山の中心地に隣接したベッ
トタウンと化した。
栄町に入ると左側に操業が昭和2(1927)年の有名な亀山ローソク
の本社工場が有る。本社は大阪に構えているが、創業の地には、亀山
本社工場を設立し、今も関わっている。
その先には日本武尊の墓所とされる白鳥陵のある、「熊褒野(のぼの)
神社」遙拝の大きな二の鳥居が立っている。
日本武尊はこの熊褒野で死んだとの伝説があり、当地に古くからあっ
た「王塚」と呼ばれる前方後円墳がその墓と言われていた。
それが当時の内務省により正式に比定されたことから、日本武尊を主
祭神として、明治16(1883)年に神社が創建された。
その後周辺は、のぼの公園として整備されているらしい。
その神社はここから北に3.5㎞程離れた安楽川の左岸近くに建っている。
この鳥居は、亀山駅前に立つ一の鳥居に続くものだ。
神社の最寄り駅としては、亀山駅よりも井田川駅の方が位置的には遥
かに近い。
井田川駅は昭和に入って設けられた新しい駅で、明治23(1890)年開
設の亀山駅には、早々と鳥居が建立されていて、最寄り駅の地位を取ら
れてしまったので有ろう。
(東海道歩き旅・伊勢の国 中編・完 後編に続く)
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