簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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食べたまま、書いてます。

「温羅(うら)」伝説(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-08-05 | Weblog
 岡山の桃太郎伝説は、「温羅」伝説でもある。
この地には駅の運動公園口に温羅の像が建ち、今週末に予定されている夏祭り
「うらじゃ踊り」では鬼のメークを施した踊り連が熱狂の舞を繰り広げる。



 百済の王子であった温羅(吉備の冠者)が、鬼ノ城に住み着き悪事を働くように
なった。これを平定するため大和から派遣された吉備津彦は、「吉備の中山」に本
陣を敷き、その西に石楯を築き備えたとされている。
これが「楯築遺跡」(倉敷市矢部)だ。



 こうして争いになりにらみ合った両者は互いに矢を射るが、ことごとく空中で絡み
合い下に落ちてしまった。この地が「矢喰宮」(岡山市・高塚)と言われている。



 そこで考えた吉備津彦は、矢を二本同時に射ると一本は絡み合い落ちてしまった
が、もう一本の矢が見事に温羅の左目を射ぬいた。
温羅は大量の血を流したので、それで出来たのが「血吸川」である。



 堪らず温羅は雉となって逃げ、吉備津彦は鷹となって追うと、こんどは温羅は鯉
に化け「血吸川」に逃げ込んだ。それを追った吉備津彦は鵜になって鯉を噛んだ。
その場所が「鯉喰神社」(倉敷市矢部)だ。



 こうして降参した温羅は吉備津彦により首を刎ねられ、さらし首になった地が岡山
市・首部である。
しかし何時までも大声を上げ続けたので犬にその首を食わせたが、ドクロになって
も唸りは止まらなかった。堪らず「吉備津神社」の地下深くに埋めてしまうのだが、
それでも13年間唸り続けたと言う。



 伝説では鬼神として伝えられている温羅であるが、岡山の市民にとっての温羅は
馴染深いキャラとして愛されている。
 その根拠は、「鉄」文化を欲しがった大和政権が、温羅を悪者に仕立て上げ成敗
した、と岡山県民は今も固く信じていることにある。(続)






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