新しく開通した、番町線の電停(路面電車の停留所)は、「御城下」
を出ると「石関町」、「出石町」、「弓之町」と続き、この先で進路を
西に変え、「憲兵隊前」から「七番町口」に到り終点となる。
城下からは、僅か900m余りの新線であった。
天神山には県庁が有り、電停も当初の「出石町」から後に「県庁前」
に変更された。その県庁は、昭和20(1945)年6月の岡山空襲で、焼
夷弾を受けて焼失した。
戦後に成り岡山城近くの現在地に移転再建されるのは、昭和32(1957)
年の事で、これは47都道府県の中では最も遅い再建で、請け負ったの
は竹中工務店である。
これにより「県庁前」電停は、今度は「岡山神社前」と呼ばれた。
県庁跡地には後に、岡山県総合文化センター、今日の天神山文化プラザ
が建てられている。
設計したのは、新県庁舎も手がけた建築家・前川國男である。
また当時前庭であった場所には、岡山県立美術館が建てられているが、
こちらの設計は、建築家の大沢雄作(鹿島建設)である。
「弓之町」はその後、「後楽園」から「後楽園前」に改められた。
岡山後楽園の正門に一番近い電停で有ったからだ。
県庁は無くなったが、この美術館周辺の坂道は、今でも「県庁坂」と
呼ぶ人もいるらしい。
又、当時弓之町の西南角には、大日本帝国陸軍の第四管区岡山分隊が
置かれて居たため、この曲がり角の電停は「憲兵隊前」であった。
第二次大戦後解体されると、電停名も「一番町口」、「一番町就実前」
「就実学園前」と変遷するが、学園は今も当地に学び舎を構えている。(続)
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