宿場に於いて、最も重要な施設が「問屋場(とんやば・といやば)」
と言われている。多くの場合、街道に面した宿場町の中心的な場所に設
けられ、二つの幕府公用業務が義務付けられていた。
一つは人馬の継立(つぎたて)、もう一つは書状や物品の継立である。
問屋場には決められた数の人馬常備の義務があり、「伝馬朱印状」を
持つ公用者や大名等には、過不足無くこれらを無償で提供しなければな
らなかった。多くの場合は、人や物を次の宿場まで運ぶ業務である。
「伝馬朱印状」とは、「此の御朱印なくしては伝馬を出すべからざる
もの也、仍(よって)件(くだん)の如(ごと)し」という文言に朱印
が押された公文書で、これを携帯していない者には、公用の伝馬を出す
ことを禁じていた。
もう一つ役割が公文書や金銀為替、小荷物などを次の宿場に届ける業
務で、この任を担う人を飛脚といいこの業務を公儀の継ぎ飛脚といった。
一方尾張や紀州など有力大名は、独自に江戸と国元を結ぶ飛脚を持っ
ていて、これらは大名飛脚として区別された。
寛文3(1663)年以降になると、飛脚屋・飛脚問屋等の制度が更に整
備された。大名・武家、町人の別なく、自由に利用出来たのが町飛脚で、
江戸・京・大坂を中心に発達し、主要な通信手段の一翼を担っていた。
問屋場の最高責任者を「問屋」といい主にその地の名主が、それを補
佐するのが「年寄」で、その地の組頭的な人物が充てられた。
その他に書記を務める「帳付(ちょうづけ)」、人馬を指図する「人馬
指(じんばさし)」、大名行列等を宿場の出入り口で迎える「迎役」等
が置かれたと言う。(続)
にほんブログ村
と言われている。多くの場合、街道に面した宿場町の中心的な場所に設
けられ、二つの幕府公用業務が義務付けられていた。
一つは人馬の継立(つぎたて)、もう一つは書状や物品の継立である。
問屋場には決められた数の人馬常備の義務があり、「伝馬朱印状」を
持つ公用者や大名等には、過不足無くこれらを無償で提供しなければな
らなかった。多くの場合は、人や物を次の宿場まで運ぶ業務である。
「伝馬朱印状」とは、「此の御朱印なくしては伝馬を出すべからざる
もの也、仍(よって)件(くだん)の如(ごと)し」という文言に朱印
が押された公文書で、これを携帯していない者には、公用の伝馬を出す
ことを禁じていた。
もう一つ役割が公文書や金銀為替、小荷物などを次の宿場に届ける業
務で、この任を担う人を飛脚といいこの業務を公儀の継ぎ飛脚といった。
一方尾張や紀州など有力大名は、独自に江戸と国元を結ぶ飛脚を持っ
ていて、これらは大名飛脚として区別された。
寛文3(1663)年以降になると、飛脚屋・飛脚問屋等の制度が更に整
備された。大名・武家、町人の別なく、自由に利用出来たのが町飛脚で、
江戸・京・大坂を中心に発達し、主要な通信手段の一翼を担っていた。
問屋場の最高責任者を「問屋」といい主にその地の名主が、それを補
佐するのが「年寄」で、その地の組頭的な人物が充てられた。
その他に書記を務める「帳付(ちょうづけ)」、人馬を指図する「人馬
指(じんばさし)」、大名行列等を宿場の出入り口で迎える「迎役」等
が置かれたと言う。(続)
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます