簾 満月「バスの助手席」

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問屋場 (東海道五十七次歩き旅・山城国)

2024-11-11 | Weblog
 宿場に於いて、最も重要な施設が「問屋場(とんやば・といやば)」
と言われている。多くの場合、街道に面した宿場町の中心的な場所に設
けられ、二つの幕府公用業務が義務付けられていた。
一つは人馬の継立(つぎたて)、もう一つは書状や物品の継立である。



 問屋場には決められた数の人馬常備の義務があり、「伝馬朱印状」を
持つ公用者や大名等には、過不足無くこれらを無償で提供しなければな
らなかった。多くの場合は、人や物を次の宿場まで運ぶ業務である。



 「伝馬朱印状」とは、「此の御朱印なくしては伝馬を出すべからざる
もの也、仍(よって)件(くだん)の如(ごと)し」という文言に朱印
が押された公文書で、これを携帯していない者には、公用の伝馬を出す
ことを禁じていた。



 もう一つ役割が公文書や金銀為替、小荷物などを次の宿場に届ける業
務で、この任を担う人を飛脚といいこの業務を公儀の継ぎ飛脚といった。
 一方尾張や紀州など有力大名は、独自に江戸と国元を結ぶ飛脚を持っ
ていて、これらは大名飛脚として区別された。



 寛文3(1663)年以降になると、飛脚屋・飛脚問屋等の制度が更に整
備された。大名・武家、町人の別なく、自由に利用出来たのが町飛脚で、
江戸・京・大坂を中心に発達し、主要な通信手段の一翼を担っていた。



 問屋場の最高責任者を「問屋」といい主にその地の名主が、それを補
佐するのが「年寄」で、その地の組頭的な人物が充てられた。
その他に書記を務める「帳付(ちょうづけ)」、人馬を指図する「人馬
指(じんばさし)」、大名行列等を宿場の出入り口で迎える「迎役」等
が置かれたと言う。(続)





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