あれは、いつ頃のことであったのか?
恐らく「修行の道場・土佐路」で、長い長い札所間の行程に、難儀を強いられてい
たころ・・・だったと思う。
土佐路に入ると遍路道の多くは、荒波の打ち寄せる海岸沿いの道を、次の札所
に向けて、ただひたすら黒潮を眺めながら進むことに成る。
車なら、刻々と移り変わる風景に、時に感動し、思わず感嘆の声を上げることもあ
ろうが、たかだか1時間に4キロ程度の移動は、こと海岸線の道ではその目に入る
景観はほとんど変わることが無い。
いつ見ても遥か先に霞む岬の突端は、霞んだままでなかなか近づいてはこない。
目を足元に転じても、奇岩怪石の大小が散らばる磯は、打ち寄せる波に洗われる
だけで、一向に変わらず、「まだ、いくらも進んではいないぞ!」と、そんな風にも聞
こえる、変化に乏しい波音を返してくるばかりである。
加えて海岸特有の風だ。
時に海風は砂煙を巻き上げ、行く手を妨げ、進路をふさぎ、疲れた身体をいたぶっ
てくる。簡単には行かせぬぞ、と思わず体を押し返してくる。
グイと体を横に揺るがされたりもする。
そんな意地悪な風も、時に優しく背中を押してくれることがある。
暑さを少し、和らげてくれたりもする。
どうやら海風は気まぐれで、悪戯が好きなようだ。
そんな、ふく風と絡みながら、長い長い海岸線を歩いているころであった。
まだこの先どうなるか、まったく予測もつかないと言うのに、もうすでにその
先のことを考え始めていた。(続)
にほんブログ村
恐らく「修行の道場・土佐路」で、長い長い札所間の行程に、難儀を強いられてい
たころ・・・だったと思う。
土佐路に入ると遍路道の多くは、荒波の打ち寄せる海岸沿いの道を、次の札所
に向けて、ただひたすら黒潮を眺めながら進むことに成る。
車なら、刻々と移り変わる風景に、時に感動し、思わず感嘆の声を上げることもあ
ろうが、たかだか1時間に4キロ程度の移動は、こと海岸線の道ではその目に入る
景観はほとんど変わることが無い。
いつ見ても遥か先に霞む岬の突端は、霞んだままでなかなか近づいてはこない。
目を足元に転じても、奇岩怪石の大小が散らばる磯は、打ち寄せる波に洗われる
だけで、一向に変わらず、「まだ、いくらも進んではいないぞ!」と、そんな風にも聞
こえる、変化に乏しい波音を返してくるばかりである。
加えて海岸特有の風だ。
時に海風は砂煙を巻き上げ、行く手を妨げ、進路をふさぎ、疲れた身体をいたぶっ
てくる。簡単には行かせぬぞ、と思わず体を押し返してくる。
グイと体を横に揺るがされたりもする。
そんな意地悪な風も、時に優しく背中を押してくれることがある。
暑さを少し、和らげてくれたりもする。
どうやら海風は気まぐれで、悪戯が好きなようだ。
そんな、ふく風と絡みながら、長い長い海岸線を歩いているころであった。
まだこの先どうなるか、まったく予測もつかないと言うのに、もうすでにその
先のことを考え始めていた。(続)
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます