簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

山科大塚辺り (東海道五十七次歩き旅・山城国)

2024-11-29 | Weblog


 坂を下りながら名神高速の高架を潜り、道なりに進む。
途中に500床余を有する地域医療の中核急性期病院、洛和会音羽病院を
右手に見ながらの行程である。敷地内の一角に、握りこぶしのような大
きなオブジェが置かれていて、興味を引かれたが、フェンスに絡んだ草
に阻まれ説明書きが良く見えない。



 やがて国道1号線の国道音羽交差点に出るが、京都東ICがすぐ北に有
るだけに流石に交通量が多い。
周辺には自動車屋、商業施設、食事処など様々な店が店舗を構えていて、
中には比叡山麓坂本に本店を構える有名なそば屋の出店もあり、心引か
れたが流石に昼食休憩にはまだ早い。



 旧東海道は今日の国道1号線にほぼ沿っている。幹線道路らしく通行
する車は多く、旧道が交差する場所では、横断歩道に変わって歩道橋や
地下道が設けられていることが多かった。
ここにも横断歩道は無く、横断地下道が設けられている。



 鶴喜のそばに後ろ髪引かれながら、それを潜って向こう側に渡る。
地上に出ると国道上には大阪まで55㎞、堀川五条まで8㎞の道路案内表
示板が見える。この先には僅かながら旧道が残されている。



 一本中に入っただけなのに、国道の喧噪はここまでは届かず、静かな
細い道である。その先で山科川に架かる音羽橋を渡り、暫く進むと再び
国道1号線の山科大塚交差点に出てここでも大塚地下道で国道を越える。



 この辺りの地名を大塚と良い、ここには直径20mほどの円墳があり,
昔から大塚、王塚、皇塚などと呼ばれていた。
今では円墳は、原型は留めていないらしいが、名称から桓武天皇の墓
所との言い伝えがあるらしく、それで大塚という地名になった。(続)




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