簾 満月「バスの助手席」

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朝鮮通信使遺跡(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-06-03 | Weblog
 

 瀬戸内の島々に渡るフェリー港の前に、「牛窓海遊文化館」が有る。
樹齢が150年と言われる、見事な大ソテツが玄関前に植えられている。
これは江戸時代に、村の大庄屋であった「奈良屋」の庭に植えられてい
たらしく、この地に移植されたものだ。



 この建物は明治20年に建てられた旧牛窓警察署で、欧米建築に見ら
れる細工を施したモダンな和洋折衷疑似洋風建築である。
館内では、この地に伝わる「朝鮮通信使」の貴重な資料や、市内にあ
る指定有形文化財のだんじりなどを展示している。



 この「朝鮮通信使」に所縁の寺が、室町時代に創建された法華宗の
「経王山・本蓮寺」である。
石の門を抜け、少し崩れかけ歴史を感じる築地塀に挟まれた石段を上
ると山門が有り、潜るとその先にあまり広くはない境内がある。



 正面側面とも五間の本瓦葺寄棟造りの大屋根を見せる本堂は、国の
重要文化財に指定されている。
元禄年間に創建された高さ12.6mの三重の塔や、番神堂、山門が建ち、
寺域を低い塀が巡っている。
その塀越しからは眼下に牛窓港と瀬戸内に浮かぶ島々が一望だ。



 牛窓は江戸時代には岡山藩が朝鮮通信使を接待する港として整備し、
通信使が寄港の折にはこの寺の客殿が接待場所として、正使・副使・
従事官の所謂三使の饗応が行われていた。
江戸時代に朝鮮通信使は12回来日し、この地では4回、三使の宿館とし
て使われたとの記録が残されているそうだ。



 境内は国内では数の少ない「朝鮮通信使遺跡」の一つとして、国の
史跡に指定されている。
また、当地での交流の様子は、今では「唐小踊り」「太刀踊り」など
の郷土芸能に引き継がれ、色濃く反映し残されている。(続)



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