伏見の観光マップを頂いたので、忠実に旧道だけを辿ってこの町を通
り過ぎてしまうのももったいなく、気の向くままに、少し町歩きを楽し
んでみる。
右に泉徑寺や玄忠寺を見て下板橋通りを進むと、伏見板橋児童館の前
に古い道標があった。「東 左りふねのり場」「南 右 京大津みち」と
刻まれ、弘化4(1847)年の銘がある。
東海道を歩き大阪に向う旅人は、舟便の利用が多いらしく、伏見湊を知
らせる道標のようだ。
かつてこの場所には、伏見の市役所が有り、伏見では中心的な場所だ
ったらしい。京都市に合併し伏見区となった現在は、200m程南に新し
く区役所を構えている。
伏見中学校前には、「寒天発祥之地」の碑が有った。
伝承によると、伏見宿御駕籠町の旅館「美濃屋」の主人が、薩摩の島津
公への食事接待の後にトコロテンを戸外に捨てたところ凍結し、日が経
つと解けて乾物上になる事を発見した。
偶然の産物であったが、宇治・黄檗山(おうばくさん)万福寺の隠元
和尚に試食をしてもらうと、これなら食材として使えると言い、これを
「寒天」と命名した。
江戸時代の初期頃、ここ伏見では寒天の製造が行われていたらしいが、
今では生産はなく主な産地は長野に移っている。
大正時代にかけては、寒天を材料の一つとする練羊羹(ねりようかん)
が伏見の町の名物となっている。
羊羹といえば、「練り羊羹 伏見駿河屋本店」の店が油掛町にあり、
また「総本家駿河屋伏見本舗」という店は京町にあるらしく、何れも
羊羹を売りにしている。
豊臣秀吉に取り立てられ、千利休に育まれた「紅羊羹」から派生し、
蒸し羊羹が生まれ、更に寒天を使用した羊羹に続き今に至るという。(続)
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