簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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食べたまま、書いてます。

舟橋 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-11-11 | Weblog


 「舟橋」とは、小舟を並列に並べ結び付け、川幅一杯に渡し、その上
に平板を乗せた仮設の橋だ。
このままだと下流側に流され湾曲してしまうので、対策として水中に杭
を打つ、或は舟に重りを結びつけて沈める、又太綱を両岸に渡し縛り付
ける等様々な工夫をしていた。



 当時は、将軍や朝鮮通信使が通る場合等、急遽舟橋が造られていたが、
これを大名が渡ることは固く禁じていた。
東京と神奈川を隔てる六郷川では、将軍家に献上される象を渡すために、
舟橋が架けられたという説も有り、維新の折にも同様な橋が架けられた
記録が残されているらしい。



 越中富山では慶長年間に神通川に「舟橋」を架けたという記録が残さ
れて、その様子は広重の「六十余州名所図会」でも詳細に描かれている。
江戸時代、回国者として全国を歩いた修験者の野田泉光院も、その様子
を克明に記した日記に「当所舟橋日本第一也」と書き残している。



 当初は32艘舟を並べその上に板を渡しただけのものであったが、橋か
ら落ちて亡くなる人も多かったらしく、その後舟を68艘に増やし、2条
の鉄鎖で繋ぎ 7枚の板を並べ、120m余りの川を渡っていた。
橋は明治に入っても暫く使われていたらしい。



 天竜川を渡り終え、すぐに左に折れると、そこに船橋・木橋跡がある。
この地は明治元年に天皇東幸の際、急遽架橋が行われる事になり、急場
凌ぎで二日間だけ仮設の舟橋が架けられたところだ。
これは街道の各河川で行われている。

 その少し先には、「舟橋」を架けた、浅野茂平の業績を称える立派な
石碑が立っている。この辺りを中の町という。(続)





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