簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

十夜ケ橋(四国遍路)

2012-06-06 | Weblog
 国道56号線を40分ほど歩くと、松山自動車道への取付け道路が分岐する広い
交差点に出た。その角に番外霊場・永徳寺はある。



 今から1,200有余年前、弘法大師が四国を巡錫中、この辺りに差し掛かったとこ
ろ日が暮れてしまい泊まるところもなく、空腹のまま小川に架かる土橋の下で野宿
をした際、一夜が十夜の長さにも感じたといわれる場所に建つ霊場である。

 

「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」
このお大師さんの歌から、十夜ケ橋との名がついたと言われている。
 その橋も今では広い国道56号線の道路の延長で、コンクリート橋が架かっていて、
橋の存在すら感じないような様相を呈している。



 橋の袂に、河原に降りる階段が付けられている。
そこを降りるとコンクリートを打った広場になっていて、その隅の丁度橋の下に祠が
あり、弘法大師が横になって眠っている石像が置かれ、そのわきには、ピンクの暖か
そうな布団が寄進されている。



 こうして橋の下で眠っておられるお大師さんに配慮して、遍路が橋の上を通るときは、
杖を突かないとの風習は、この逸話から起こったと伝えられている。
 しかし、今では、橋の上はそんなコツコツという細やかな杖の音どころではなく、手を
伸ばすと届きそうな頭上では、ゴーゴーと行交う車の騒音が、絶え間なく聞こえている。



 この地は、全国でも珍しい修行としての野宿が認められた場所らしいが、とても安閑と
眠っていられるような環境にはない。(続)


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歩き遍路の拘り(四国遍路)

2012-06-04 | Weblog
 昨年の秋、歩きを終え帰路についた伊予大洲の駅に11時少し前に戻ってきた。
半年ぶりのこの春は、ここを起点に第44番札所・大宝寺から、内子の町を通り、久万高
原などを経て、松山市郊外に連なる札所を打ちながら、第51番札所・石手寺を目指す。





 大洲の駅前から延びる道を5分ほど歩き、国道56号線に行き当たったところで左折、
ここからは車の往来の多い国道を歩くことになる。

 暫く歩くと左手に、JR予讃線の線路が寄り添ってきた。
つい先ほどまで、高い運賃を払って特急列車に揺られてきた線路である。
わざわざ遠くまで通り過ぎて来たものを、こうして平行する国道を歩いて戻っている
ことになる。





 遍路道と接するもっと手前のJR駅で降り(今回で言うなら内子の駅がそれにあたる)、
そこから歩き始めても良さそうなものだが、1週間ごとの区切り打ちとは言え、“途切れ
なく歩き続ける”のが遍路の宿命だと言い聞かせれば、それはそれで納得も出来、だ
からこうして得心して歩いているのだが、一方で“途切れなく・・”に強い拘りがあるわけ
でも無い。



 現に室戸では、自身も足を痛め、前夜体調を崩した相棒の事も有って、宿地から岬の
手前まで10分ほどの区間をバスのお世話になっている。
 歩けば相当な距離が途切れたことには違いないが、だからと言って、歩きが全否定
されることでもないのだから、“途切れない”ことへの拘りを、完全に捨て去っているわ
けでも無いからその思いはややこしい。(続)



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粋な計らい(四国遍路)

2012-06-01 | Weblog
 お大師様は、粋な計らいをされたものだ。

 仁淀川の上流域、愛媛県の久万高原にある第44番札所・大宝寺は、四国八十八
か所の内の半分であることから“中札所”とされているが、歩き遍路には総歩行距離
の三分の二ほどを歩き終えた位置関係にもある。

 ずいぶんと重ねてきたのに、まだ札所の数は半分か・・・、歩きももう残り三分の一
ほどになったのか・・・などと、様々な思いを描きながらの道のりではあるが、それは
途方もなく遠くて厳しい。



 足摺を目指す金剛福寺道は87キロ、室戸を目指す最御崎寺道の85キロに対して、宇
和町にある明石寺から続く大宝寺道は71キロで、その長さはそれらに次ぐものである。



 高知県を代表する二つの岬を目指すその遍路道の多くが、比較的平坦な海岸沿いの
道を歩くのに比して、大宝寺道は幾つもの峠を上り下りしながら厳しい山岳道を行くので、
四国の遍路道の中でも昔から第一の難所と恐れられている。



 卯之町の街並みを見て鳥坂峠や札掛峠を越え、明治の街並みの残る大洲の町に入り、
穏やかな市街地を歩き、趣のある内子の町中からその先で道は次第に山間地へと入り
込み、幾つもの峠を越え、平均標高800m“四国の軽井沢”と言われる久万高原へと至る
道は、距離以上にその起伏の厳しさから歩き遍路を悩ましてきた。



 「半分も、三分の二も・・」その実感を乏しくするほどに、そう簡単には物事が進まない
よう、お大師様は何かと試練を与えて下さっているようだ。(続)


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