まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

月見茶会の射会

2013-09-20 | 暮らし

協会の先輩〇野女史の発案で、中秋の名月にちなみ、弓道の稽古の合間に抹茶を頂くという茶会をした。

会社の弓道部の先輩で、茶道の先生を呼んで、お点前をしていただき、弓道と茶道の共通点を語り、道と名のつくものの深さを思った。

弦音を聞きながらの一服は格別で、この茶会は来年もしたいと思った。狭い審判席にしつらえた座敷は、昔の利休の庵のようで、なかなか趣があり、工夫で茶をたしなむというのは、「へうげもの」の世界のようだ。

〇野先輩と、午後ふたりでセッティングし、風呂敷に月を浮かべてみたら、夜はちょうど夜空の月のような感じになった。実際、外の月も素晴らしい満月で、久々に月見を満喫する。

〇野先輩の手作りの団子と、すべてのセットの発案はすばらしい。しかし、室内弓道場の3階までを、ふたりで行ったり来たりして息切れしたが、みんなの喜ぶ顔が嬉しかった。

道場へ入ってきたみんなが、口々に「わぁー」とか、「へぇー」とか口にして、いつもの弓道場で老若男女は、仲良く遊べるというのも、弓のお蔭と思えた。

 

 


糸瓜(へちま)忌

2013-09-20 | 暮らし

9月19日は、俳人、正岡子規が亡くなった日で「糸瓜忌」という。

昨年、入院した日が9月19日である。何故か入院するときに正岡子規が床に臥せっていたことを考えた。今では医療が発達し苦痛は殆どないようにはからってもらえるが、子規は自宅療養でせめて電動ベッドがあれば、起きるのが楽だっただろうと思ったりした。手術の前夜、やたら電動ベッドを上げたり、下げたり、起こしたり、その機能に心酔していた。ベッドの下にもぐり、会社のチェーンが使われていないか確認したが、残念にも使われていなかった。

正岡子規は亡くなるときに上根岸の子規の家の庭には、痰を切るというへちまを植えてあったそうだ。

「へちま咲て 痰のつまりし 仏かな」

「をとといの へちまの水も 取らざりき」

「痰一斗(18ℓ) へちまの水も 間にあはず」と、三首残して逝く。

同じ境遇にならなければ、なかなかその気持ちが分からなかったりする。しかし、その辛い境遇が、また人を励ますのだとも思える。死してなお、後世に大きく影響力を残す偉大なる正岡子規について、もっと学ばなくてはならないのかもしれない。

 


柿の葉寿司

2013-09-20 | 料理

今年の秋祭りは台風の影響で雨に降られて子供みこしが中止になって、子供より大人の方が残念がっていた。獅子舞も雨の中で、青年団はぐっしょり濡れて、いつもと同じ金額を包んで渡してしまって、もっと奮発すればよかったと、これは後の祭り。

さて、恒例の柿の葉寿司を造るため実家の家の柿の木にはしごをかけて178枚採ってきた。

いろいろな地方に柿の葉寿司はあるが、ここ加賀市の柿の葉寿司は、寿司飯を包まず、人間と同じ、オープンな感じ。娘の県外の友達に言わせると、「おままごとみたいで面白い」とのこと。

わたしたちは、この柿の葉寿司は、小さい時から当たり前で、鮭としめサバを下に敷くのだが、我が家は鯖が人気だ。今年は旦那の親友から新米が届き、米7合で70枚ほどの柿の葉寿司を作ったら、やはり今年の寿司は米が旨いと言われた。持つべきものは新米の友。

ご飯を載せて、その上にいわゆるトッピングをする。えびやごま、青い色の海藻、レモンなどなど、押し寿司の木枠に並べて、ぎゅっと押して取り出す。柿の葉が不揃いで、上に乗せるご飯の量も不揃いだが、みんなこれを食べなくては、祭りではないという感じ。旦那に柿の葉を拭いてもらい、根元をはさみで切ってもらいながら、この作業を朝からもくもくとする。これは、なかなかひとりでは、はかどらないものだ。これは、強制的な共同作業だ。

かくして、おままごとみたいなオープンな柿の葉寿司は、みんなの口にやすやすと入るのである。なんの気取りもなく、吉永小百合が作っても田舎のかあちやんが作る寿司なのである。