まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

自分とか、ないから。

2025-01-29 | 読書
本屋が楽しい。
同じ本なのに、表紙が違う。
帯が違うのは知っていたが、表紙まで変えるとは!!


今回、平積みしてある黄色い本が気になった。
『自分とか、ないから。』副題、「教養としての東洋哲学」
帯も興味をひく。
東大卒・こじらせニートが超訳
「ブッダの哲学」から始まり、「龍樹の哲学」りゅーじゅって・・だれ?
「老子と荘子の哲学」「達磨の哲学」「親鸞」「空海」
面白過ぎる。わかりやすい。
立ち読みしていて、本を閉じれなくなった。
無我って、自分とかないってこと。
自分がないのに自分探しはそりゃ難しいはずだって。


出版社は、「サンクチュアリ=本を読まない人のための出版社」と、言う。
確かに、誰にでもわかりやすく丁寧に作られている。
今までも、この手の本が好きで、増やさないでおこうと思ったのにまた買ってしまった。
ちなみに、娘たちにLINEしたら
「わたしも買った・・・」と。被った。
時折、おかずのメニューもかぶったりするが、本もかい。
家にあるのを並べてみた。
わたしたち夫婦は病んでいたのか、悩んでいたのか、この手の本が結構ある。
確かに、夫婦して病んでいた時があるが。

わたしの祖父も癌になって臥せっていたころ、仏様の本を読んでいた。
わたしは、高校生だったが、どうして年寄りは仏様の本を読むのだろうと思っていた。
横溝正史や、松本清張、赤川次郎を読んでいたころである。
少し大人になって、宮部みゆきや、浅田次郎、重松清を読んでいて、たどり着いたのは、やっぱ仏様の本。いや、これは仏様ではない。
人間の、哲学の、本である。



昭和~~♪  補足

2025-01-22 | 弓道
冬の北陸とは思えないほど良い天気。
女子の和服は色とりどりで、花が咲いたようだ。
この時点で光は燦燦と道場の中にあふれている。



床はワックスがかかっていて、蛍光灯の光さえもきれいに反射させていた。
昨年は地震で中止になったので、今回はあたりまえに出来ることに感謝し
た。
いい時間を過ごすことができることに感謝。
健康に感謝。
太陽の光を一杯に浴びて、みんなで時間を共有するしあわせ~。

終わりの挨拶。
「一昨日、キャベツが600円でした。今日の講習会費は500円です。」
価値をどこで見出すか、何を基本とするか、それは各自それぞれの想い。




昭和枯れすすき 弓道編

2025-01-21 | 弓道
昨日はお酒のせいか眠りが浅かったような。
ホテルに泊まったのは正解だった。
6時半に起きてゆっくり朝食を摂り、道場に8時に着く。
すでに、スタッフは勢ぞろい。
講師の先生方と、司会進行の方々と打ち合わせをしてから、矢渡のために位取りをする。昨日の午後、自分の立つ位置は確認できたので後は間違いなくビニルの窓の所に立てるようにと思う。
中たり外れはともかく、所作を間違えないようにと。

県の武道館弓道場で矢渡をするなど考えたこともなかったので、ちょい緊張。
替え弓を道場に近いところに置いて、さて一歩足を踏み出した途端、異常さに驚いた。やばいかも。見えない。
道場の床が光るのだ。好天に恵まれたのは良いが、行く手は斜め前方から冬の低い日差しがつやつやの床に跳ね返り、確か中央にあったはずの赤い目印テープが完全に見えない。見えなくても感覚で行けばよい。
しかし、歩行中も目を開けていられなくて半眼状態。
サングラスが欲しい。
礼をするために顔を上げると、審判席の人たちが完全に白いもやの中に居る。
目がくらむとはこのことだ。


歩数は決まっているのでなんとか本座に到着できた。
跪座をして弓を浮かせて開き足をして向き直り、ほっとした瞬間、おもむろに弓を立ててしまった。
優しい天の声のような講師の先生のささやき「・・先生・・」
あ、襷をかけなくては!
所作の間違いだけはしないでおこうと昨日から心していたのに。
酒の飲み過ぎか、眩しさに負けたのか。
その後、的に顔を向けるとちゃんと的が見える。
良かった~~と、やっと我に返って弓を引いた。
何の欲もなくひたすら引いて、勝手に離れて行った矢が的中した。
だから引手を勝手というのかなと、いらんことを考えた。
ほっとした。甲矢が中ったのでこれで良いわと安心し、乙矢は少し背筋を伸ばして引いた。
離れた瞬間、矢が沈んだかもしれないと思ったが、的の喉に的中。
良かった良かった。この後は、無事に元に戻れますように。
頭の中に昭和な歌が浮かんできた。
「眩しさに負けたぁ~♪」(貧しさに負けた~)あれは、昭和枯れすすき。
後で撮ってもらった画像を見たら、第二介添の方が、西方浄土の阿弥陀如来様のように見える。神々しいとはこのことだ。
私以上に眩しかったに違いない。
束中したのは、阿弥陀如来様のお陰かもしれない。



金沢駅から居酒屋まで3分のはずが

2025-01-20 | 弓道
先週土曜、弓仲間の飲み会があった。
翌日が女子講習会なので、東金沢のホテルで泊まることにして、県立武道館で稽古してから、すぐそばにあるホテルに移動。
スマホで調べると、ホテルから金沢駅まで28分とある。
天気も良いので歩くことにした。スマホがあれば大丈夫。
バス停を辿って行けば何となく行けるはず。
時折、確認すると「2分遅れ」と、出る。時間に余裕があるので「お構いなく」と言いたかった。
地図を3Dで見ると、大きな矢印が3本道に出ていて、ついて来いと言わんばかりだ。右折を指すので、近道なのかと細い道を入って行くと、その矢印はどこかの家にぶつかった。あちゃー、これって最短の方向を指しているのか。
少し速足で、広い道を歩くこと30分。鼓門が見えた。


ライトアップされて、途中で色が変わっていくのできれいだなあと見とれていた。
さて、少し早く着いたので、フォーラスで時間を潰して、6時には外に出た。6時半からというので、早いと思ったが、ビルを探さなくてはならない。
わが町のように、ビルというものがない所ならすぐに見つけられるだろうが。

スマホで調べると、金沢駅から3分。しかし、どっちを向けばいいのだろう。
近すぎて林立するビルに隠れて、どのビルがそうなのか分からない。
歩くと、目的のビルから遠ざかっている。
暗くなってしまって方向が分からない。
もう一度戻って歩くが見上げても分からない。
時計を見たら15分かかっている。
そんな馬鹿な。東金沢から金沢駅まで30分で来れたのにここへ来て迷うなど。信号のところでおじさんに聞いた。
「サンファーストビルってどこでしょう?」
う~ん??分からない様子。「居酒屋の名前は?」
「ころなぎらい・・」
回りの仲間らしい人たちが「コロナ嫌い??アハハ・・」完全にそういう感じ。
だから、居酒屋の名前を言いたくなかった。
と、笑っている人の上を見たら、目的のビルだった。
「ありました!!すみません」
「じゃあ、楽しんで!」と、皆さん明るく目の前の居酒屋に団体で消えていった。

3階の「呼炉凪来」。見上げていたら、弓仲間と入り口で一緒になった。
駅から遠かったわ~。
おでん食べ放題、お酒飲み放題。
明日は女子講習会で矢渡をしなきゃいかんのです!!と、言いながらしたたか呑んで、二次会まで行って、またまた弓の話で盛り上がって、話は尽きない。
審査での珍事や、失敗談。出るわ出るわ。
結局、帰ったのは11時で、風呂に入って寝たのは12時過ぎていた。
この日、位取りだけはしたので、的中しなくてもなんとか所作だけはやり終えなくてはと心つもりだけして眠りについた。
良い結果を望んではいかん。一生懸命やればいいが、一生懸命飲んでしまったので、心掛けが良いとは言えない。
しかし、弓仲間と過ごす時間は楽しいものだ。
明日も、楽しくあればいいのである。

左義長

2025-01-12 | 暮らし
天気が良いので神社まで歩いて行くことにした。
向いの家の若いお父さんが子供を連れて行くのと一緒になった。
9時前だが地面は凍っていて時々滑った。
いつも車で出かけるので、こういう地面の様子に気づかないねと言いながら歩いていると、また滑って転びそうになる。
話しの中で、2年生になるこの子たちの同級生は2人しかいないのだという。
うちの娘の頃は8人いたなあと思ったが、昔の事なので黙っていた。
高校になった孫も、男はひとりで女の子が2人だ。子供会の人数も当然年々減っているのだなと思う。

地震でひび割れた階段下の鳥居は撤去されていて、なんだか間の抜けた感じがした。

去年は、地震の後で棚の上の達磨が落ちて、達磨の頭がひび割れたので燃やしに来たっけ。大きな達磨の後ろに、大きな字で我が家の名字が書かれていて、置いた時に少し恥ずかしかったことを思い出した。

帰ると、丁度TVで高崎の達磨の放映をしていて、カラフルな達磨が外人観光客に人気だそうだ。いつも、棚の上からにらんでいた達磨がいないと寂しい気がする。今度はピンクの達磨でも買おうか。気分が上がるかもしれない。
どんなふうに上がるか?



孫へのお年玉

2025-01-02 | 小さきもの
キャベツがトンカツより高いのは何故だぁ~と、叫んでいる人がいた。
年々高くなるのは、商品だけではない。
ハガキ2枚でガソリン1ℓ入れられる。
香典、お見舞金、お年玉。
身近な人になればなるほど増額の一途で、お年玉はいくつまであげるものか、成人は17歳なら高校3年生にはあげないのか。
20歳なら大学生か。あるいは、自分で働いて儲けるようになるまでか。
それは、どうでもいいことで、ばぁばとしてはいくつになっても孫は孫で可愛いのである。
さて、今年は高校生には可愛いポチ袋はやめて、気持ちを込めて渡すとしよう。
「ヘビー級の力を発揮できますように」は、大学受験のkouに。
「巳のある年になりますように」は、高校2年になるkenに。


しかし、貰う方は表書きなどどうでも良いのだと思う。
ヘビー級な金額、実のある金額が肝心なのである。
トンカツやキャベツを買うくらいの金額ではいけないのである。
暮れに蟹に桁外れな値段がついていた。
せめて越前ガニ1杯くらいの価格が必要だろう。

初詣

2025-01-01 | 暮らし
毎年の私のルーチンなのかどうなのか、郵便局へ行ったついでに菅生石部神社へ初詣に行った時間が昨年と同じ16時となった。
車を駐車場に入れて鳥居の下に並んだ時に、昨年のことが蘇った。
そして、鳥居を見上げて思った。
鳥居の下にいたので、少しでも遠ざかるように階段を駆け上がったが、今日まじまじと見上げて、階段の段数の少なさを見ると、もし倒れてきたらどこに石が飛ぶかもわからない。





ウインウインなった時に、上まで駆け上がるべきではないか。
上へ行くと列に並んでいるところは平坦だ。落ちてくるものはなさそうだ。
お参りの順番待ちをしながら、検証していた。


ようやく順番が来て、おみくじも引いた。
おみくじもたくさん箱があり、人ごみに押されて、目の前の箱にお金を入れて適当に引いて、階段の下で広げると、な・な・なんと「こどもおみくじ」
今年も、そそっかしい1年になりそうだ。



夜、NHKスペシャルで「能登半島地震知られざる72時間」を、やっていて、その中のシーンで、鳥居が倒れるのが映っていた。
ぶっ飛びだ。柱が倒れるのも怖いが、上の反り返った部分とか、貫の部分が飛んで、地面に叩きつけられて大変なことになっていた。
能登の人たちはどんなに怖かったことだろう。

あけましておめでとうございます

2025-01-01 | 暮らし
あけましておめでとうございます。
この静かなブログに訪問してくださる方々にご多幸が訪れますようお祈り申し上げます。

昨年の元旦の地震から1年経ち、水害もあって本当に大変なことで、少しでも力になりたいと思いながらも、大したこともできずに月日だけが過ぎてしまった。
そんな中で、災害で家族を亡くされた方は、時間も心も止まったままだと訴える。復興は簡単ではない。

新年を謹んで迎えられることのありがたさを思う。



玄関のしつらえは、予約してから作ってもらったタペストリーだが、白い壁に目立たなくて、この壁が京壁のような色だったらいいなと思った。
また、正月花を買いそびれたので、庭の千両だけを飾った。
今年は千両が無事に実をつけて、葉の色もなんとか綺麗でよかった。





どんな一年になるのだろうか。
言えることは、また年が重なるということだ。