ちい散歩の2回目。
今回はちょっと足を延ばしてクトゥブ・ミナールのある、
メーロウリ地区まで行ってみた。
時代はデリー・スルタン朝の5番目の王朝、
ローディー朝(1452~1526年)の頃の建物。
周囲は普通の商店街でイスラム教徒が多いようで、
モスクと肉屋、魚屋が並んでいる。
正面から見たところ。
日本の鎌倉幕府の頃、西方からイスラム教徒が攻めてきて、
デリーのメーロウリを都としたため、この辺りには、
デリー・スルタン朝時代の遺跡が多い。
アフガニスタン、アラビア、イラン、イラク、
モロッコ、トルコ辺りからの巡礼者の為の宿泊施設であった、
と言われている「ジャハズ・マハル」である。
周辺の池に映った姿からヒンディー語で、
船の宮殿と言われている。
宮殿の前には池があるのだが・・・・・
現在ではこの通り真緑色~。
残念ながら宮殿は池には映らないのであった。
それから宮殿と池はちょっと離れており、
池に映ったかどうかも怪しい感じ。
まぁ昔は宮殿と池の距離が近かったのかもしれないけれど。
丸いドーム型の屋根をもつ四角い建物で、
宮殿の中央には中庭がある。残念ながら中には入れなかった。
イスラム建築の特徴の一つは透かし彫りの窓である
マディア・プラデッシュ州のマンドゥの遺跡の中にも
同じ名前の由来の宮殿があるが、あちらの方が大きくて、
立派な建物であった。