スコータイの西、約77Kmの距離にある。
カンペーン・ペッは「ダイヤモンドの壁」と言う意味で、
スコータイ朝からアユタヤ朝時代にかけて要塞都市だった。
城壁にダイヤ型の銃眼を取り付けたことにより
アユタヤ朝時代からこうに呼ばれる様になった。
近くにはピン川が流れ、城壁に囲まれた地区は、
王宮と王宮寺院「ワット・プラケオ」と「ワット・プラタート」がある。
「アランイック」と呼ばれる西北地区は、
林の中に40ほどの寺院が散在している。
とても整備されて夕暮れ時だったせいか、
ジョギングをする人々がたくさんいた。
このワット・プラ・シー・イリヤボット寺院が
造られたのはスコータイ時代で、
本堂の正面にある建物の四面には四体の仏像が安置されていた。
4体は、遊行像、坐像、立像、涅槃像で、
現在は写真の高さ約9mの立像のみが残っている。
いや~遠かったっす。
77Kmを甘く見たらダメだなぁ・・・と。
この日はまず、スコータイから50Km離れた
シー・サッチャナーライへ行っており往復で100Km。
そしてカンペーン・ペッへ行く為には、
一旦スコータイへ戻る。
ところが・・・ゲストハウスの兄ちゃんは、
あまり遠くへ行った事がなかったのか、
スコータイへ戻る道を間違えやがりました。
しかも「Sorry」すら、言いやがりませんでした。
インド人だって、自分が悪い時は「sorry」くらい言うのに・・・。
(Thank youは言っても、
ヒンディー語でありがとうは、言わないが。)
これでまた1時間以上ロス。
ようやくスコータイへ戻りそこから77Km・・・・。
カンペーン・ペッへ着いた時には、
既に16時半を過ぎていた。
その為、遺跡公園には涅槃像もあったのだが、
入場できなかった・・・・これは残念だった。
1日で・・・約300Km・・・
これは、デリー ジャイプールより遠い。
日本で言うと東京 名古屋くらいか
に二人乗りで6時間くらい乗っていた。
インドより道路が良かったのがせめてもの救い。
オシリは痛いわ、身体は振動してるわ・・・。
教訓 無茶はしないように。
カンペーン・ペッは「ダイヤモンドの壁」と言う意味で、
スコータイ朝からアユタヤ朝時代にかけて要塞都市だった。
城壁にダイヤ型の銃眼を取り付けたことにより
アユタヤ朝時代からこうに呼ばれる様になった。
近くにはピン川が流れ、城壁に囲まれた地区は、
王宮と王宮寺院「ワット・プラケオ」と「ワット・プラタート」がある。
「アランイック」と呼ばれる西北地区は、
林の中に40ほどの寺院が散在している。
とても整備されて夕暮れ時だったせいか、
ジョギングをする人々がたくさんいた。
このワット・プラ・シー・イリヤボット寺院が
造られたのはスコータイ時代で、
本堂の正面にある建物の四面には四体の仏像が安置されていた。
4体は、遊行像、坐像、立像、涅槃像で、
現在は写真の高さ約9mの立像のみが残っている。
いや~遠かったっす。
77Kmを甘く見たらダメだなぁ・・・と。
この日はまず、スコータイから50Km離れた
シー・サッチャナーライへ行っており往復で100Km。
そしてカンペーン・ペッへ行く為には、
一旦スコータイへ戻る。
ところが・・・ゲストハウスの兄ちゃんは、
あまり遠くへ行った事がなかったのか、
スコータイへ戻る道を間違えやがりました。
しかも「Sorry」すら、言いやがりませんでした。
インド人だって、自分が悪い時は「sorry」くらい言うのに・・・。
(Thank youは言っても、
ヒンディー語でありがとうは、言わないが。)
これでまた1時間以上ロス。
ようやくスコータイへ戻りそこから77Km・・・・。
カンペーン・ペッへ着いた時には、
既に16時半を過ぎていた。
その為、遺跡公園には涅槃像もあったのだが、
入場できなかった・・・・これは残念だった。
1日で・・・約300Km・・・
これは、デリー ジャイプールより遠い。
日本で言うと東京 名古屋くらいか
に二人乗りで6時間くらい乗っていた。
インドより道路が良かったのがせめてもの救い。
オシリは痛いわ、身体は振動してるわ・・・。
教訓 無茶はしないように。