『がんばろう!日本。』
のスローガンの下、選抜高校野球大会が始まった。
被災地の高校が参加できた事は良かったと思うし、
高校球児達の熱い戦いを見て、
日本全体が元気になったくれたら嬉しいね。

まずは開会式直後の第1試合、
香川第一
日本文理(北信越)は、
8-1で日本文理が勝利した。
前回の記事でも触れたが、
新潟県からは空前絶後の2チームが出場。
選抜勝利最下位県からの脱出がかかっている。
しかし新潟県が最下位から脱出すると言う事は、
どこかの県が最下位に転落すると言う事で、
自分さえ良ければそれでいいのか?
と言う疑問が湧いてくる。複雑な心境である。
勝っても負けてもいいじゃないか。
思いっきり悔いのないような精一杯のプレイを見せて欲しい。

毎日、ネットで地震関係のニュースを見ているのだが、
グッとくる記事がいくつかある。今日の記事はこれだった。
横沢さんに心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。
東日本巨大地震の大津波で全壊した岩手県陸前高田市の県立高田病院のスタッフが、
1台の衛星電話を手に、市内の別の場所に設けた仮設診療所で被災者の診療を続ける。
「横沢伝声器」とスタッフが呼ぶこの衛星電話は、
今月末で定年退職する予定だった病院事務局長の横沢茂さん(60)が、
命をかけて津波から守った。有線電話や携帯電話の不通が続く中、
薬品調達や救急患者の情報収集の〈命綱〉となっている。
11日の地震発生直後、鉄骨4階建ての病院は入院患者や医師のほか、
避難してきた住民ら100人以上であふれていた。
「大きな津波が来るぞ」。数分後、あちこちで声が上がった。
3階にいた事務員の冨岡要さん(49)は窓の外を見た。
10メートルを超える大きな津波が迫っていた。
1階事務室まで階段を駆け下りると、
横沢さんが窓際に設置されていた衛星電話を取り外そうとしていた。
通信衛星を介して通話する衛星電話は、
地上の施設が壊滅すると使えなくなる携帯電話や固定電話と比べ、災害時に強い。
「津波が来ます。早く逃げて下さい」。冨岡さんは大声で伝えた。
横沢さんは「これを持って行かなければダメだ」と叫んだ。
冨岡さんは駆け寄り、横沢さんから衛星電話を受け取って、
屋上まで駆け上がった。病院が4階まで津波にのみ込まれたのは、その直後。
横沢さんは行方不明になった。
衛星電話は11日こそ起動しなかったが、
屋上からヘリコプターで救助されたスタッフらが13日に再び試すと、
回線がつながった。
<中略>
横沢さんの遺体は21日、
遺体安置所を捜し歩いていた妻の澄子さん(60)
と長男の淳司さん(32)らが確認。22日、同県紫波町の自宅に帰った。
横沢さんは県の病院事務職員として単身赴任で県内を巡り、
2年前から高田病院事務局長になった。
同僚たちは「患者の目線に立った柔らかい語り口で好かれていた」と口をそろえる。
遺体と対面した澄子さんは、
「お父さん、ご苦労さま」と心の中で語りかけながら、
右耳についた砂を手でそっと払った。
「患者のために忙しく、自宅への連絡まで気が回らないのでは」
という祈りはかなわなかった。だが、今はこう思う。
「皆さんのために役だったのは本当に良かった。
本人も家に戻ってこられて、安心したでしょう」
衛星電話には「事務局長さんが天国で手伝いしています」
と書かれた紙が張られている。(天野雄介)
(2011年3月23日03時07分 読売新聞)

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香川第一

8-1で日本文理が勝利した。
前回の記事でも触れたが、
新潟県からは空前絶後の2チームが出場。
選抜勝利最下位県からの脱出がかかっている。
しかし新潟県が最下位から脱出すると言う事は、
どこかの県が最下位に転落すると言う事で、
自分さえ良ければそれでいいのか?
と言う疑問が湧いてくる。複雑な心境である。
勝っても負けてもいいじゃないか。
思いっきり悔いのないような精一杯のプレイを見せて欲しい。





毎日、ネットで地震関係のニュースを見ているのだが、
グッとくる記事がいくつかある。今日の記事はこれだった。
横沢さんに心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。
東日本巨大地震の大津波で全壊した岩手県陸前高田市の県立高田病院のスタッフが、
1台の衛星電話を手に、市内の別の場所に設けた仮設診療所で被災者の診療を続ける。
「横沢伝声器」とスタッフが呼ぶこの衛星電話は、
今月末で定年退職する予定だった病院事務局長の横沢茂さん(60)が、
命をかけて津波から守った。有線電話や携帯電話の不通が続く中、
薬品調達や救急患者の情報収集の〈命綱〉となっている。
11日の地震発生直後、鉄骨4階建ての病院は入院患者や医師のほか、
避難してきた住民ら100人以上であふれていた。
「大きな津波が来るぞ」。数分後、あちこちで声が上がった。
3階にいた事務員の冨岡要さん(49)は窓の外を見た。
10メートルを超える大きな津波が迫っていた。
1階事務室まで階段を駆け下りると、
横沢さんが窓際に設置されていた衛星電話を取り外そうとしていた。
通信衛星を介して通話する衛星電話は、
地上の施設が壊滅すると使えなくなる携帯電話や固定電話と比べ、災害時に強い。
「津波が来ます。早く逃げて下さい」。冨岡さんは大声で伝えた。
横沢さんは「これを持って行かなければダメだ」と叫んだ。
冨岡さんは駆け寄り、横沢さんから衛星電話を受け取って、
屋上まで駆け上がった。病院が4階まで津波にのみ込まれたのは、その直後。
横沢さんは行方不明になった。
衛星電話は11日こそ起動しなかったが、
屋上からヘリコプターで救助されたスタッフらが13日に再び試すと、
回線がつながった。
<中略>
横沢さんの遺体は21日、
遺体安置所を捜し歩いていた妻の澄子さん(60)
と長男の淳司さん(32)らが確認。22日、同県紫波町の自宅に帰った。
横沢さんは県の病院事務職員として単身赴任で県内を巡り、
2年前から高田病院事務局長になった。
同僚たちは「患者の目線に立った柔らかい語り口で好かれていた」と口をそろえる。
遺体と対面した澄子さんは、
「お父さん、ご苦労さま」と心の中で語りかけながら、
右耳についた砂を手でそっと払った。
「患者のために忙しく、自宅への連絡まで気が回らないのでは」
という祈りはかなわなかった。だが、今はこう思う。
「皆さんのために役だったのは本当に良かった。
本人も家に戻ってこられて、安心したでしょう」
衛星電話には「事務局長さんが天国で手伝いしています」
と書かれた紙が張られている。(天野雄介)
(2011年3月23日03時07分 読売新聞)

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