カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

3月24日、今日のいい話。

2011年03月24日 19時12分59秒 | 日記 / DAIRY
毎日、ネットで震災関係のニュースを見ている。

どんな悲惨なニュースであれ、知りたい・・・・と思うのは、
やはり私が日本人だからだろう。

中には同じ日本人として憤る火事場泥棒的なニュースもあれば、
拍手を贈りたいグッとくる話も毎日のようにある。

日本にいる皆さんのほうが良くご存知だとは思うが、
そんな感動的な話を見つけたら拙ブログでも紹介したいと思う。

遠く離れていも日本を思う気持ちは一緒だから。
今、自分に出来ることをやりたい。

歳の数だけヒマワリの花束
クリエーター情報なし
リトル&ハピネス


今日は、宮城県の話である。
菅原さんに心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。

 
宮城県気仙沼市の対岸に浮かぶ大島は、
津波で900人乗りのフェリーが壊れるなどして孤立する恐れに直面していた。
危機を救ったのは島で唯一船体の損傷を免れた
42人乗りの古い客船「ひまわり」だ。
船長の菅原進さん(69)は自身も避難所生活を送る被災者だが、
地震2日後から毎日、島と気仙沼港を愛船で往復し、
人と物資を運び続けている。

<中略>

自宅で地震に遭った菅原さんは、
津波から守ろうとひまわりに乗り込み、あえて沖に向かった。
すぐに高さ数メートルの津波がやってきた。
「逃げたら転覆する。前に進むしかない」。
壁のような大波を4回ほど乗り越え海が落ち着いたのを見計らって島に引き返した。

 島は沿岸部が津波で壊滅状態で、火災も起きていた。22人が死亡し、
22人が今も行方不明になっている。菅原さんの妻と同居の三女、
2人の孫は無事だったが、自宅は1階部分が海水につかり住めなくなった。

日中の地震だったため、働き手の多くが島を出ていた。
菅原さんは「島民の救出にはもっと多くの人手が必要」と考え、
13日、気仙沼港へとひまわりを出した。家族の元に駆けつけたい島出身者や、
島からの避難が必要な高齢者らを運ぶため、島と気仙沼港を往復する日々が始まった。

 有志の島民の支援も受けて1日2往復の予定で始めたが、
それでは間に合わず4往復することもある。
避難所では周りの人が休むよう勧めてくれるが
「港を出るとき『頑張れ』と送り出してくれる人たちがいるから」
と当面は続けるつもりだ。

 年季の入ったひまわりは、乗り込むと床の板材がきしみ、
操舵輪(そうだりん)にもさびが浮いている。菅原さんは言う。
「太陽に顔を向けるヒマワリが好きで名付けた。
少々古くてもあの大波を越えることができた。
島民がみんなで力を合わせれば、島はよみがえる」

【喜屋武真之介】


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コメント (2)
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