目黒に行ったついでに偶然訪ねた雅叙園で見つけた。
物語には諸説あるのだが、
概要はみなさんもご存じであろう。
江戸十大火災の一つと言われる火事は、
天和2年(西暦1682年)12月28日、
江戸の本郷森川宿(現在の文京区本郷6丁目付近)で起きた。
死者3500人余りの大火事であった。
八百屋の娘お七は、母親と共に逃げた本郷駒込吉祥寺で、
吉三郎と言う若者と出会い恋に落ちる。
火事の後で再建された家にお七は戻り、
二人は離れ離れになってしまう。
天和3年(西暦1863年)3月2日、
火事になれば吉三郎に逢えると思ったお七は自宅に放火する。
火事はぼやで済んだが、放火は大罪である。
お七は市中引き回しの上、火あぶりの刑に処された。
吉三郎は病に伏していたため、その事を知らなかったが、
目黒明王院にて僧侶(西運)となった。
その明王院が明治13年頃まで目黒雅叙園にあった。
この井戸は西運が念仏行に出かける前に
お七の菩提を念じながら水垢離をとったことから
「お七の井戸」と言われている。
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物語には諸説あるのだが、
概要はみなさんもご存じであろう。
江戸十大火災の一つと言われる火事は、
天和2年(西暦1682年)12月28日、
江戸の本郷森川宿(現在の文京区本郷6丁目付近)で起きた。
死者3500人余りの大火事であった。
八百屋の娘お七は、母親と共に逃げた本郷駒込吉祥寺で、
吉三郎と言う若者と出会い恋に落ちる。
火事の後で再建された家にお七は戻り、
二人は離れ離れになってしまう。
天和3年(西暦1863年)3月2日、
火事になれば吉三郎に逢えると思ったお七は自宅に放火する。
火事はぼやで済んだが、放火は大罪である。
お七は市中引き回しの上、火あぶりの刑に処された。
吉三郎は病に伏していたため、その事を知らなかったが、
目黒明王院にて僧侶(西運)となった。
その明王院が明治13年頃まで目黒雅叙園にあった。
この井戸は西運が念仏行に出かける前に
お七の菩提を念じながら水垢離をとったことから
「お七の井戸」と言われている。
狂乱・春の夜の夢 ~松尾芭蕉と八百屋お七~ (光文社文庫) | |
笹沢 左保 | |
光文社 |
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