2006年のテルグ語映画でアメリカとインドの合作。、
ワナジャとは主人公である少女の名前。
舞台はアーンドラ・プラデシュ州なのでテルグ語であった。
テルグ語にもヒンディー語と同じような単語が出てくるが、
日本語字幕の物があるので解りやすかった。
<ストーリー>
村にやって来た大道芸と踊りの舞台を観衆が見守っている。
最前列に陣取るのは好奇心旺盛な子供達だ。
踊りが好きな少女ワナジャ(マムタ・ブキャ)も、
親友のラチ(ヴァバニ・レヌクンタ)と一緒に観ている。
老婆の芸人の足につけた鈴が外れて転がって来たのを、
ワナジャが拾い、終演後の老婆に返しに行く。
老婆は手相を見て大金をつかむ事、踊りを踊る事を予言する。
15歳にしては小柄である。そこからも栄養状態が良くない事が解る。
翌日の学校。英語の授業だがワナジャの家は貧しいため、
教科書が買えないようだ。借金取りにも絡まれる。
学校から戻ると漁師の父親の手伝いをしている。
父親が聞く「学校は好きか?」。ワナジャは答える。
「働いて欲しいならそうするけど、地主の所でないとイヤ。」
翌日、父親はワナジャを伴って地主の所に行く。
月給500Rsで部屋と食事付で雇ってもらえることになった。
女主人(ウルミラ・タムマンナガリ)は、
クチプディと言うインドの古典的な踊りの名手であった。
ワナジャは女主人に踊りを習いたいと告げるが、
まずは仕事を覚えてからだと言われるが、
次第に稽古をつけてもらうようになり、
村祭りで300Rsの賞金をもらえるまでに上達していく。
ところが父親の漁船が借金の方に取上げられてしまい、
父親は酒浸りになってしまった。
そこへ女主人の息子シェカール(カラン・シン)が、
アメリカから帰って来た。
選挙に出馬するためらしい。しかしバカ息子は、
ある日、ワナジャを襲ってしまった。
傷ついたワナジャは家に帰るが、酒浸りの父親を見て、
また地主の家に戻る。そして妊娠している事が解る。
女主人はシェカールを叱り、ワナジャに中絶を勧めるが、
人里離れた所で男の子を出産する。
子供はシェカールの子として女主人が引き取るが、
ワナジャも子供の側にいたいと、また仕事に戻る。
シェカールは低カーストのワナジャとは結婚する事は出来ず、
(そんな事は考えもしない)色が黒い事をワナジャのせいにしたり、
ワナジャを明らかに差別的に扱う。
ワナジャの父親は子供を女主人に渡す事で、
60万ルピーをもらう事で話が付いたはずなのに、
選挙の対抗馬にスキャンダル情報を売りに行く。
そして酒が元で死んでしまう・・・。
ワナジャは女主人に気に入られている事もあるが、
やはり子供の母親であるわけだし、
シャカールにレイプされ子供までできてしまった、
負い目もあるのか踊りの稽古は続けてもらえていた。
女主人はワナジャが子供を預けて出て行く代わりに、
教育や一生の面倒をみる事を話す。
ワナジャは漁村に戻り親友のラチと一緒に、
普通の生活に戻って行く。
<クチプディ>
南インドのアーンドラ・プラデシュ州の
クチプディ村発祥の伝統的舞踊である。
漁師と言う低カーストの暮らし、貧乏がゆえに、
酒におぼれていくダメ親父と孝行娘。
地主のバカ息子はしょうがないヤツとしても、
女主人は権力を振りかざすところはあっても、
半面、踊りを目指すワナジャには無料で教えたり、
使用人に対しても暴君である所はなく、
まぁいい人であった。
親友のラチは僧侶の娘でありながら身分を超えて、
ワナジャ一家と普通に付き合っていた。彼女の存在は、
ワナジャにとっても大きかったに違いない。
インドの法律でカーストは撤廃された事になってはいるが、
人々の心の中には依然として根強く残っている。
この映画でその一端を感じる事ができる。
レイプされただけでも大変な事なのに、
未婚で出産しているとなると、結婚は無理だろう。
中絶しなかった理由は解らないが、
厳しい選択をしたと思う。肉親もいなくなってしまったし。
ワナジャのその後は、どうなったかは解らないが、
予言通りクチプディの名手になっている事を祈りたい。
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