1972年刊行の吉村昭の小説。
吉村氏の小説は物悲しい物が多いのだが、
表現が淡々としていて冬の情景が目に浮かぶ。
どちらかと言うと貧しい者であったり、
物資や愛情に恵まれた者よりそうではない人々の話が多い。
しかし、それが悲惨であればあるほど、
淡々とした文章が悲惨さをイコール悲惨として、
それ以下にもそれ以上にも表していない。
たぶん伝わらないだろうけど。
なんというのかなぁ。
読んでみると解る、読まなければ解らない。
当たり前だけど。
ある北の方の海岸にある17戸の小さな集落が舞台で、
前は海、後ろは険しい山、隣の町まで徒歩で3日がかりと言う、
陸の孤島のような寒村である。
その貧しさは蛸や秋刀魚が取れる時には干物にして売りに行き、
塩を作っては売りに行く。農産物は限られた物しかできず、
米は当然なく雑穀だけで、木の皮をはいで衣を繕い、
家族を養うために、身を売る・・・。
売ると言っても年期を決めて奉公に行くのだが、
身体が大きく頑丈で働ける者は決められたお金に対して短期で済むが、
力が弱くそれほど働けないと見えれば10年などと長くなる。
主人公は9歳の伊作、伊作は両親と弟と2人の妹と暮らしている。
父親は末妹が生まれた事で3年と言う年期で身を売る。
父が留守の間、伊作は一家を支えるために漁に出たり、
一家を代表して村長に仕える。
ある冬の夜、塩炊きの番を仰せつかった伊作は、
浜辺で塩を炊く事が単なる塩造りではない事を知る。
荒れる海に向かって火を炊くと言う事で、
灯を町と見間違った船が村に向かって近づいてくる。
すると浅瀬で座礁してしまうのだ。
座礁した船と積み荷は村にとってはお宝であり、
思わぬ臨時収入となるのだった。
もっともそんな「お船様」は数年に1回やってくるだけだが、
米や砂糖、酒など積んでいた場合には、
村長によって17戸に平等に分配される。
お船様によってもたらせられるのはお宝だけではない。
病原菌もやって来る。天国から地獄・・・。
そして3年が経ち、父親が戻って来るところで物語は終わる。
令和の今からは考えられないような貧困の話。
昭和生まれだったら少しは想像できると思う。
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