22年前に行った時の事はほとんど覚えていなかった。
ブランド門から入った事・・・それから宮殿地区には、
パンチマハルがあった事。それしか記憶になかった。
宮殿地区の入口にチケット売り場がある。
何処を探しても世界遺産の碑は見当たらなかった・・・(残念)。
ここから宮廷の中に入る。
アクバル大帝はイスラム教徒であったが他宗教にも寛大であり、、
ヒンドゥー教徒やキリスト教徒の奥さんを娶っていたため、
建造物には各宗教の要素も見られる。
何度も言うが22年前の事は全く記憶になく・・・
唯一記憶に残っているパンチマハルを探した。
これこれ。パンチマハルとはヒンディー語で5つの宮殿。
つまり5階建てと言う事である。
壁がないのは涼むためだったそうだ。
アクバル大帝は建物の前の広場で人間チェスをして眺めていたと言う。
アクバル大帝が貴賓や大臣達に会う為に作った謁見の間。
池から謁見の間を望む。
こちらは井戸。
水問題があったと言う事で水を確保するための設備がみられる。
確かに生活用水確保のために城や宮殿は川の側に建てる事が多い。
タージ・マハルやアグラ城のように観光客が多くないので、
のんびりとしている。モスク地区に多くあらわれる、
勝手にガイドのインド人には注意されたし。
私は今回22年振りに行ってみて思ったのは、
モスク地区が見所十分だったと言う事でした。
無料なのに・・・・。