雀の手箱

折々の記録と墨彩画

無窮洞のこと

2010年03月04日 | 雀の足跡
 平戸からの帰途、佐世保市の宮地区にある「無窮洞」と名づけられた旧宮村国民学校地下教室、つまり巨大な防空壕を見学しました。


 当時の校長の発案で昭和18年から20年の終戦の日まで掘り続けられたものです。掘ったのは先生に指導された高等部(今の中学)の生徒たちで、男子がツルハシなどで堀り、女子が整形、下級生が運び出しを分担しました。洞内には当時使用されていた少し小ぶりの道具類も展示されていました。
 凝灰岩をくりぬいた主洞は幅5m、奥行きは19mあり、教壇を備えています。(副洞は3m15m)書類室、台所、便所、避難道などもあり、空襲の時数回、全校生徒600人が避難したこともあるそうです。
 太平洋戦争の形見をとどめた史跡は、平成14年に市制百周年を記念して整備され、公開されています。(パンフレットより)
 私と同年代の人たちが、学校の裏手の山を掘り下げて作り上げた地下壕と思うと、当時のすべてが乏しい中で、ただひたすら「お国のため」に耐え、勤労奉仕に明け暮れた日々が蘇り、熱いものがこみ上げたことです。

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<主洞正面に設けられた教壇>
画像は5枚です。



 無窮洞のすぐ傍の「梅ヶ枝酒造」です。創業天明7年(江戸中期)。安政7年に建てられた主屋は国登録有形文化財です。試飲のうえ帰路の煩いとなる買い物をしました。