雀の手箱

折々の記録と墨彩画

春に思い出を辿って

2017年04月06日 | 雀の足跡
 二日の日曜日には、近くの金山川の畔でチューリップ祭りが予定されていました。前日の夜からの雨が、朝はさらに激しくなり、その上1センチほどもありそうな雹に変わって地面を叩き、一面の白い世界に変わってしまいました。2時間ほどで時ならぬ銀世界は消えてしまいましたが、祭りは次の日曜日に変更になったようです。
 土手の桜も身を竦めて満開の時期を延ばしたことでしょう。

 四日はあるじがデイサービスの施設に出かけたので、うららの春の陽気に誘われ、思い立って弟のところを訪問しました。握り寿司のお昼をご馳走になり、話は今年八幡市制100周年に当たることから、生まれ育った枝光の八幡製鉄所本事務所裏門近くにあった家の思い出に花が咲き、急遽今から行ってみようということになりました。

 櫻の開花宣言から1週間、いつもなら満開の桜なのでしょうが、コースに選んだ国際通りの桜並木の大木もまだ5分咲きといったところでした。今年いっぱいで閉鎖されるスペースワールドも、春休みなのに子供たちの賑わいもあまりないようで、大きな観覧車だけがゆっくり動いていました。
 以前の枝光駅のあったところから、なだらかな坂道を上りつめた角、貸家と自宅があった辺りは道だけは昔の儘で、道路標識に見る町名も同じでした。

 強制疎開で取り壊された跡地には、見知らぬ家々が新しく建っていましたが、自宅のあった場所はなぜか一か所だけ空き地になっていて、裏の石垣の石組だけは昔の儘で苔むしていました。あの石垣のところに風呂があって、その左手が縦長の台所と、二人の記憶が一致しました。ここが茶碗屋があったところ、隣が米屋だったと車の通りも殆ど無いので,駐車したまま、しばし感慨にふけったことです。
 製鉄所の高いレンガ塀は完全に撤去されていて、北九州八幡ロイヤルホテルの裏側が見渡せました。

 六年間通った枝光小学校への道のりに、こんなにも遠くまで歩いて通っていたのかと驚きました。自宅の前の通りも通学路ももっと広かったと思っていたのですが、通学路は狭くて車がすれ違うのも難しく、途中にあった製鉄所への送水管があった広い谷も記憶のものより狭く、仲良しだった友人の家のあったあたりは公園になっていました。
 小学校の校舎は空襲を受けて、一部焼けたと聞いていますが、今は全く面影もない新しい建物となっていて、春休みで人気のない広い運動場と、相撲場、周辺を囲む楠の木の何本かにかつての幼い日の記憶が重なりました。
 思いがけない春の午後の感傷ドライブとなりました。


  雨で流れたチューリップ祭りのチューリップです。思い出を辿るドライブは、カメラを持参していなかったので画像がないのが残念です。





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