──万博以降、新しい発想が出ていない、と。
「万博の発想が20年間持ったけれども、その後が出てきていない。それを引き出すような行事がなかったと思いますね」
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どうだろう。時代と社会を論じる評論や未来予測小説を多数発表してきた作家らしく、「知価社会」「好老社会」という造語を交えて語ってはいるものの、私にはなんら響く所がなかった。過去の成功体験を過度に美化し、その再来を願う言葉は空疎で抽象的で、理念や必然性も感じられない。所詮は堺屋個人の夢物語に終わるのだろうと考えて、この会見をどこに書くこともなかった。
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今回14年ぶりに録音を聞き返して感じたのは、この空疎さ、理念や必然性の乏しさが埋まらないまま、維新一強という大阪の政治状況により、茫洋とした夢物語がなんとなく現実化してしまったということだ。堺屋が口にした「好老社会」なる未来像は、大阪府が誘致検討段階で掲げたテーマ「人類の健康・長寿への挑戦」の下敷きになったようにも思える。
橋下と松井が書いているように、堺屋との三者会談から本当に万博誘致が始まったのだとすれば、彼らの空疎な夢と政治的思惑に大阪が、政府が、日本国民が付き合わされているだけという感がぬぐえない。