※秋田の地理に関するカテゴリーを新設しました。
秋田市に「手形からみでん」という町名がある。
手形地区は秋田駅の東側、いわゆる駅裏の中では早くから市街地化し、住宅街に秋田大学の本部、県立秋田高校などがある。秋田市の住居表示の地名は「手形学園町」「手形住吉町」というふうに「旧大字+小字」になっていることが多いので、市民は「からみでん」と省略して呼ぶことが多い。
からみでんは、秋田駅の北西1キロほどの奥羽本線の鉄橋より北東側、旭川と秋田温泉・仁別方面のバス通りに挟まれた地域。川が蛇行するので、西端が一直線でなく、町の形は不整形。北端の道路の向かいは旭川南町、川の対岸は泉馬場なので、手形地区の北西端ということになる。一般住宅のほか銀行の支店などちょっとした商店や学生向けアパートなどがある。
バスの行き先表示に「からみでん」の文字
子供の頃、地図を見てこの町名を知ったとき、「○○町」というように町が付かず、すべてひらがななのでインパクトがあった。「からみ」からはこんがらがったイメージを受け、それに「でん」という音が付くのも面白かった。
交差点名にもなっている。雪国の信号機は縦長
では「からみでん」の由来は何だろう?
秋田市地域振興課のサイトや「角川地名大辞典」によれば、昭和41年の住居表示実施(=手形からみでん誕生)前の地名「手形字搦田(てがたあざからみでん)」が直接の由来だ。「搦む」は「絡む」と同義の別字らしいが、難読なのでひらがな化されたと思われる。
町内の集会所なのか「搦田会館」は漢字表記
「田んぼが絡む」という意味なのか? ここは旭川の後背湿地だろうから、昔は水田が広がっていたはずだ。
「秋田大百科事典」(昭和56年・秋田魁新報社)で「手形」を調べるとその参照先の「如斯亭」の項目に答えがあった。
ここで「如斯亭(じょしてい)」を先に説明しないといけない。からみでんの北隣の旭川南町にある、旧秋田藩主佐竹家の別邸・庭園のこと。秋田市民は「ジョ」を強く発音する。民間所有となっており、ごくたまに一般公開される。※その後、秋田市に寄贈され常時一般公開されるようになった。
左奥が如斯亭だろうか。道路沿いの土地は月ぎめ駐車場になっている。
秋田大百科事典をまとめれば、元禄年間(1688~1703)に佐竹家に仕える藩士が3代藩主から土地をもらって「得月亭」という別荘を建てた→以後、藩主の遊猟の際の休憩場所に使われる→5代藩主の時に藩に献上され、手が入る→9代藩主が「如斯亭」と命名。という流れがある。
そして、この建物が城の搦め手(からめて。知らなかったが、「大手」の反対で「城の裏門。敵の背後」の意味がある。要はお城=現千秋公園 の裏口)にあることから、「唐見殿(からみでん)」と呼ばれたという記載もあった。
「搦め手にある御殿」だから「唐見殿」というのが「からみでん」の根源らしい。「唐見」は当て字だろうか? その後町名になる時に「搦」と本来の意味の字になったが、今度は「殿」が「田」に変わってしまったのも、田んぼとは関係なさそうなので、当て字か?
対岸の泉地区から旭川の下流方向を見る。左側の岸が全部からみでん。奥に見える小高い丘が城跡の千秋公園(の裏側)。佐竹のお殿様はあそこからここまで狩りに来ていたようだ。歩いても30分とかからない近くが狩場だったのは意外。
つまりは、
秋田藩の建物ができた→搦め手にあるから「唐見殿」→建物は「如斯亭」になったけど、地名は「搦田」→住居表示実施で「手形からみでん」
ということらしい。(追記・もっと端的に言えば「如斯亭の別名にちなむ町名」)
とすれば、地名の由来である如斯亭が向かいの旭川南町にあるのは本末転倒のような。ともかく複雑で奥が深い。
追記・秋田市地域振興課のサイトでさらに調べると、「旭川南町」の住居表示実施前の旧町名に「搦田」はなく、「旧手形字搦田」は現在の「手形からみでん」と「手形田中」の2町にしか相当しない。ということは、かなり以前から「如斯亭=唐見殿」と「地名の搦田」が切り離されたようだ。不思議。
ついでに、昭和55年までは、旭川の対岸、今の「泉馬場」「泉東町」の各一部が「手形字向搦田(むかいからみでん)」だったことも分かった。そのまんまの地名だけど、旭川の反対側も「手形」だったとは知らなかった。
道路右が手形からみでん、左が旭川南町で如斯亭駐車場が写っている。奥の信号がからみでん交差点。直進して道なりに右にカーブすると秋田高校・秋田大学。後ろが旭川を渡って泉地区。
町内のバス停の表記は、下り(秋田駅発)は「からみでん」なのに、向かいの乗車客が多く照明付きの立派な設備の上り(秋田駅行き)は「からみ田」と和漢混在表記になっており、「カラミダ」と読んでしまいそう。
ここを通るのは、秋田市交通局から秋田中央交通に移管された路線だが、上りの方は、秋田市交通局が設置した設備をそのまま使っていて、表記も昔のまま(バス接近表示が残っているが作動しない。下りは、移管前の表記は不明だが、現在の表記は移管後に中央交通が塗り直したようだ【5月29日訂正】交通局末期に塗り替えたかもしれません)。
さらに最近、テレビのローカルニュースでも「秋田市手形からみ田」というテロップが出ていた。交通局や放送局の担当者が昔の秋田を知る人で、「搦田」が頭の片隅に残っていて、「全部ひらがなではなかったはず」などと思い込んで「からみ田」としてしまったのかもしれない。
考えてみれば、「手形」も不思議な地名。有価証券や手の跡を連想してしまう。
角川地名辞典によれば、この辺りはかつて、「赤沼・手潟・長沼」という沼沢地が並んでおり、その「手潟」が転じた(赤沼と長沼は広面(ひろおもて)地区の小字として今も残っている)らしい。地域内のお寺に弘法大師の手形が押された仏像があるからという説もあるらしいが、「手潟」説が有力という書き方だった。
身近な地名や地名にまつわる歴史を調べてみると、昔の様子が分かっておもしろい。
秋田市に「手形からみでん」という町名がある。
手形地区は秋田駅の東側、いわゆる駅裏の中では早くから市街地化し、住宅街に秋田大学の本部、県立秋田高校などがある。秋田市の住居表示の地名は「手形学園町」「手形住吉町」というふうに「旧大字+小字」になっていることが多いので、市民は「からみでん」と省略して呼ぶことが多い。
からみでんは、秋田駅の北西1キロほどの奥羽本線の鉄橋より北東側、旭川と秋田温泉・仁別方面のバス通りに挟まれた地域。川が蛇行するので、西端が一直線でなく、町の形は不整形。北端の道路の向かいは旭川南町、川の対岸は泉馬場なので、手形地区の北西端ということになる。一般住宅のほか銀行の支店などちょっとした商店や学生向けアパートなどがある。
バスの行き先表示に「からみでん」の文字
子供の頃、地図を見てこの町名を知ったとき、「○○町」というように町が付かず、すべてひらがななのでインパクトがあった。「からみ」からはこんがらがったイメージを受け、それに「でん」という音が付くのも面白かった。
交差点名にもなっている。雪国の信号機は縦長
では「からみでん」の由来は何だろう?
秋田市地域振興課のサイトや「角川地名大辞典」によれば、昭和41年の住居表示実施(=手形からみでん誕生)前の地名「手形字搦田(てがたあざからみでん)」が直接の由来だ。「搦む」は「絡む」と同義の別字らしいが、難読なのでひらがな化されたと思われる。
町内の集会所なのか「搦田会館」は漢字表記
「田んぼが絡む」という意味なのか? ここは旭川の後背湿地だろうから、昔は水田が広がっていたはずだ。
「秋田大百科事典」(昭和56年・秋田魁新報社)で「手形」を調べるとその参照先の「如斯亭」の項目に答えがあった。
ここで「如斯亭(じょしてい)」を先に説明しないといけない。からみでんの北隣の旭川南町にある、旧秋田藩主佐竹家の別邸・庭園のこと。秋田市民は「ジョ」を強く発音する。民間所有となっており、ごくたまに一般公開される。※その後、秋田市に寄贈され常時一般公開されるようになった。
左奥が如斯亭だろうか。道路沿いの土地は月ぎめ駐車場になっている。
秋田大百科事典をまとめれば、元禄年間(1688~1703)に佐竹家に仕える藩士が3代藩主から土地をもらって「得月亭」という別荘を建てた→以後、藩主の遊猟の際の休憩場所に使われる→5代藩主の時に藩に献上され、手が入る→9代藩主が「如斯亭」と命名。という流れがある。
そして、この建物が城の搦め手(からめて。知らなかったが、「大手」の反対で「城の裏門。敵の背後」の意味がある。要はお城=現千秋公園 の裏口)にあることから、「唐見殿(からみでん)」と呼ばれたという記載もあった。
「搦め手にある御殿」だから「唐見殿」というのが「からみでん」の根源らしい。「唐見」は当て字だろうか? その後町名になる時に「搦」と本来の意味の字になったが、今度は「殿」が「田」に変わってしまったのも、田んぼとは関係なさそうなので、当て字か?
対岸の泉地区から旭川の下流方向を見る。左側の岸が全部からみでん。奥に見える小高い丘が城跡の千秋公園(の裏側)。佐竹のお殿様はあそこからここまで狩りに来ていたようだ。歩いても30分とかからない近くが狩場だったのは意外。
つまりは、
秋田藩の建物ができた→搦め手にあるから「唐見殿」→建物は「如斯亭」になったけど、地名は「搦田」→住居表示実施で「手形からみでん」
ということらしい。(追記・もっと端的に言えば「如斯亭の別名にちなむ町名」)
とすれば、地名の由来である如斯亭が向かいの旭川南町にあるのは本末転倒のような。ともかく複雑で奥が深い。
追記・秋田市地域振興課のサイトでさらに調べると、「旭川南町」の住居表示実施前の旧町名に「搦田」はなく、「旧手形字搦田」は現在の「手形からみでん」と「手形田中」の2町にしか相当しない。ということは、かなり以前から「如斯亭=唐見殿」と「地名の搦田」が切り離されたようだ。不思議。
ついでに、昭和55年までは、旭川の対岸、今の「泉馬場」「泉東町」の各一部が「手形字向搦田(むかいからみでん)」だったことも分かった。そのまんまの地名だけど、旭川の反対側も「手形」だったとは知らなかった。
道路右が手形からみでん、左が旭川南町で如斯亭駐車場が写っている。奥の信号がからみでん交差点。直進して道なりに右にカーブすると秋田高校・秋田大学。後ろが旭川を渡って泉地区。
町内のバス停の表記は、下り(秋田駅発)は「からみでん」なのに、向かいの乗車客が多く照明付きの立派な設備の上り(秋田駅行き)は「からみ田」と和漢混在表記になっており、「カラミダ」と読んでしまいそう。
ここを通るのは、秋田市交通局から秋田中央交通に移管された路線だが、上りの方は、秋田市交通局が設置した設備をそのまま使っていて、表記も昔のまま(バス接近表示が残っているが作動しない。下りは、移管前の表記は不明だが、
さらに最近、テレビのローカルニュースでも「秋田市手形からみ田」というテロップが出ていた。交通局や放送局の担当者が昔の秋田を知る人で、「搦田」が頭の片隅に残っていて、「全部ひらがなではなかったはず」などと思い込んで「からみ田」としてしまったのかもしれない。
考えてみれば、「手形」も不思議な地名。有価証券や手の跡を連想してしまう。
角川地名辞典によれば、この辺りはかつて、「赤沼・手潟・長沼」という沼沢地が並んでおり、その「手潟」が転じた(赤沼と長沼は広面(ひろおもて)地区の小字として今も残っている)らしい。地域内のお寺に弘法大師の手形が押された仏像があるからという説もあるらしいが、「手潟」説が有力という書き方だった。
身近な地名や地名にまつわる歴史を調べてみると、昔の様子が分かっておもしろい。