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南中と東中の校舎

2012-04-21 19:37:43 | 秋田のいろいろ
秋田市立学校の校舎シリーズです。(過去の記事等へのリンクは記事末尾にあります)
秋田市だけや学校だけに限ったことではないだろうが、建築界のトレンドや社会状況などもあり、秋田市立学校の校舎は、設計・建設された年代によってデザインに特徴があることは今まで紹介した通り。

昭和50年代には、昭和30年代後半頃から建設されていた「屋上に庇状の構造物が出っ張っている校舎」から、新興住宅地の新設校に多く見られる「箱型の校舎」へ移行したわけだが、その境はおそらく1977年。旧タイプ最後の学校が広面小、新タイプ最初の学校は隣の東小ではないかと思う。

しかし、その移行時期前後に建設された校舎では、そのどちらでもないタイプがごくわずかに存在する。それが、秋田南中と秋田東中の校舎の一部。

まずは秋田南中。
北西側から
北側~通りに面した西側は、よくある秋田市立学校の校舎。
壁の部分は暗いサーモンピンクみたいな色合いで地味だけど、東小以降の箱状の校舎だ。

しかし、正門・正面玄関を挟んでグラウンドに面した南側は違う。
南西側から
北側と色使いは似ているけれど、壁面のデザインや質感が異なる。
縦横に白っぽいの格子状のラインが走っている。縦方向のラインは柱でない窓枠の延長線上にもある。
目がチラチラしそう
壁面の地の部分はコンクリートではなく、パネルをはめ込んでいるように見え、部分的に色の濃淡が異なる場所もある。
「カーテンウォール」とかそんなモノだろうか?
接続部。右手前が南側校舎
南側と北側では、建設年代が異なるのだろうか。

秋田南中は、以前は楢山南中町(だから「南中町」。現在の楢山コミセンの場所)にあったが、校地が手狭だったことなどにより、1976年度から1978年度にかけて段階的に南通宮田の現在地へ移転したそうだ。
広報あきたによれば、1976年度に「改築第一期工事として四階建て十六教室を建築」し、最終的には「普通教室三十一、特別教室十四」となったそうだ。

それを踏まえて南側の校舎を見ると、ちょうど各階に4教室×4フロアで16教室ありそうだ。

したがって、1976年度に最初に建設されたのが格子状外壁の南側の校舎、その後1978年度までに建てられたのが北側の校舎と考えられる。わずか2年差で、デザインが異なってしまったことになる。



もう1つが、南中とは秋田駅をはさんで反対側の秋田東中。
旭川の堤防から見る校舎北西側
上の写真で左側の北側の校舎は、南中とほぼ同じ箱型&地味な色。
そして、右側の線路と平行に建ち、JR奥羽本線の車窓からも見える(線路際ではない)西側の校舎は、違う。
手前がその西側の校舎
グレー基調の色についてはちょっと置いておいて、やはり格子状の構造物があり、パネルをはめたような壁面。
東中の西側校舎と南中の南側校舎はよく似ている!


東中の校舎の変遷をたどってみる。
秋田東中は、1953年の開校時から現在地にあるようだ。1968年に一部が焼失し、1969年に特別教室棟を木造で建設。

1970年代に入ると、秋田東中の生徒数は激増した。1977年度には生徒数1801名・43学級と秋田市最大の中学校だったそうだ。
この対応として、1975(昭和50)年度に「普通教室十六を建築」、1977年度に「普通教室十教室と管理諸室を建築」、1978年度に「特別教室五を建て」と次々に増改築が進められた。
1979年には、仮称「東第二中学校」だった城東中が開校して、東中の過大規模が解消されることになる。
この頃に建てられた校舎のどれかが、西側の校舎だと考えられる(おそらく1975年度?)。

この段階ではまだ木造校舎が残っており、それを解消するため1984年度に改築が行われ、10年がかりの東中の改築工事が完結したようだ。その時できたのが、北側の校舎(広報に写真が出ていたので断定できる)。
1984年度といえば、ベランダ付きの明徳小や川尻小の校舎ができた後で、当時としては斬新なデザインだった土崎南小が建設されていた年だから、箱型校舎はもう建設されていないと思っていた。
しかし、中学校の、ごく一部分ではあるが、まだ箱型が建設されていたことになる。ということは、新しい耐震基準に適合しているのだろうか。
秋田工業高校グラウンド付近から奥羽本線の橋越しに東中西側を見る
以前、コメントをいただいていたが、東中の西側校舎の外壁の色がグレーになったのは、最近のこと。
2006年度に大規模改修工事が行われてこの色になったはずだが、それより前は、独特の色だった。

旭川を渡る列車の写真の背景などに、その姿が写っていた。
夕日を浴びる以前の東中西側校舎
以前は、紺色というか濃い青色だった。
現在は省略されている、窓と窓の間(フロアの境)の横方向にもラインがあり、南中と同じ配置。
ブルートレインよりもブルー?
よく見ると、非常階段を境に、青の色合いが異なっていたようだ。
左(北側)が紺色、右が瑠璃色?
列車の車窓から見える青い校舎は印象にあったし、2つ上の写真は夕日を浴びて、何かのうわぐすりを塗った焼き物のような瑠璃色に輝く校舎が美しくて撮影した。
おそらく秋田市立の他の学校の校舎にはない配色であり、秋田東中の特徴の1つだったと言えるかもしれない。
現在のグレーも、他にはあまりない配色ではあると思うし、格子状のデザインもおそらく南中と東中だけではあるが、以前の青い校舎がなくなったのは、今にして思えば残念。

新旧どっちにしても、北側など他の校舎との色の統一感はないけれど。
接続部
建設時期が違うとはいえ、もう少し配慮をお願いしたいものです。


どういう意図や経緯があるのか不明だが、1975年度と1976年度に2つの中学校でだけ採用された、独特のデザインの校舎の話でした。

【21日23時40分追記】2011年5月現在の生徒数・学級数は、秋田南中が433名・16学級、秋田東中が539名・17学級。


■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小坂の途中の学校旭南学区は広い近い学校に通いたい)、南中と東中の校舎(この記事)
※次の記事はこちら

※2015年度に南中の校舎が解体されることになった。また、この校舎は鉄筋コンクリート造ではなく鉄骨造であることが分かった。
コメント (8)
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