桜が満開になった秋田市。昨日は曇り時々雨で少し寒かったが、今日は晴天で20度を越えた。
雲ひとつない青空(若干くすんだ青空の気がしたけれど黄砂?)で、花見日和。
旭南と楢山の間に架かる刈穂橋から旭川と太平山を見る
だいぶ減ったけれど太平山に雪が残り、草の緑は濃くなってきた。
「雪いだく太平の山仰ぎみて大地にもえる若草よ」
という、「秋田市記念市民歌」3番の歌詞そのもの。
そして手前は2番の「水きよき旭の流れ」だけど、まだ「ケヤキ茂り」ではない。
1番の「花かおる千秋の園」(千秋公園)は賑わっていたそうだけど、そこには行かずに他の場所の桜を紹介します。
2009年や2010年にも紹介した、牛島から楢山にかけての太平川沿いの桜並木。
バス通りの太平川橋から下流方向
愛宕下橋の道路開通後初めて見に行ったが、以前は道路予定地部分にあった地元の出店コーナーは、橋のたもとに移動していて、相変わらずなかなかの賑わい。
所々にスイセンが咲く
うまくいけば、桜の向こうに太平山が見えるはずだけど、川が蛇行していてうまくいかない。
東端の百石橋からなら見えるが、歩道の位置とガス管かなんかがジャマで、絵にならない。
トリミングでごまかしてます。奥の山(一つ森公園?)の桜もうっすらピンク色
羽越本線を貨物列車が通ったけど、
写真はこの程度
桜並木そのものは、やっぱり見事。
愛宕下橋から下流方向
おいでの際は、車に気をつけて。
先日取り上げた、市立秋田南中学校。
1978年までは、現在地から800メートルほど離れた場所にあった。
その場所は、南中より前は、市立秋田商業高校の初代校地であったり、さらに以前は海岸部に防風林を作った栗田定之丞の生誕地であったりもしたようで、表示や記念碑がある。
現在は、秋田市楢山地区コミュニティセンターや緑地になっている。
町名は、南中にちなんで「楢山南中町(ならやまみなみなかちょう)」。(1967年にできた町名だから、命名当時は、ここに南中が「かつてあったこと」ではなく「現にあること」にちなんだことになる)
その1番地
南側は「楢山街区公園」(いわゆる児童公園)で、敷地内に数本の桜がきれいに咲いていた。
1956(昭和31)年から供用されている公園のようなので、南中があった当時から公園だったようだ。
秋田市の都市公園共通の、擬木の一面を平らにして毛筆で公園の名称を記した表札。
その上に何かある
瓶に桜の小枝
折れてしまった枝か何かを、近所の人がいけたのだろうか。なんとなく風流。
以下、桜以外の話題。
4月上旬の強風によると思われる被害。楢山コミセンのテニスコートのフェンスが、
倒れていた(後ろの建物がコミセン)
風によるものかどうかは分からないけれど、近くの道路の「方面及び方向」の案内標識。
判読不可能
以前から柱がサビサビであり、文字も剥がれかけてはいたが、かろうじて判読はできていた。
それがいつの間にか、文字がさらに剥がれてしまっていた。
なお、書かれていた文字は、左折側が下向き三角(国道のマーク)に「13」、右折の上の文字が「楢山」、下が「登町」。
【5月25日追記】5月24日現在、変化なし。【7月11日追記】7月10日現在、変化なしの模様。【2013年12月10日追記】2013年12月上旬でも変化なし。その後、ついに新しくされた。
もう1つ、近くのとある医療機関の駐車場の看板。
「満車の時は第2へ/隣家のとなり」
分かりにくい。
上段は「(この駐車場が)満車の時は、第2(駐車場)へ」という意味。
下段は「その第2駐車場は、この駐車場の隣の隣にあります」と言いたいらしい。
「“隣”家の“となり”」と、漢字とかなで「トナリ」を示しているのが複雑だが、さらに複雑なことに、実はここのお隣さんは「家(一般住宅)」ではなく、お寺。
だから正しくは「お寺を挟んで反対側」、「隣のお寺のとなり」でなければならない。
雲ひとつない青空(若干くすんだ青空の気がしたけれど黄砂?)で、花見日和。
旭南と楢山の間に架かる刈穂橋から旭川と太平山を見る
だいぶ減ったけれど太平山に雪が残り、草の緑は濃くなってきた。
「雪いだく太平の山仰ぎみて大地にもえる若草よ」
という、「秋田市記念市民歌」3番の歌詞そのもの。
そして手前は2番の「水きよき旭の流れ」だけど、まだ「ケヤキ茂り」ではない。
1番の「花かおる千秋の園」(千秋公園)は賑わっていたそうだけど、そこには行かずに他の場所の桜を紹介します。
2009年や2010年にも紹介した、牛島から楢山にかけての太平川沿いの桜並木。
バス通りの太平川橋から下流方向
愛宕下橋の道路開通後初めて見に行ったが、以前は道路予定地部分にあった地元の出店コーナーは、橋のたもとに移動していて、相変わらずなかなかの賑わい。
所々にスイセンが咲く
うまくいけば、桜の向こうに太平山が見えるはずだけど、川が蛇行していてうまくいかない。
東端の百石橋からなら見えるが、歩道の位置とガス管かなんかがジャマで、絵にならない。
トリミングでごまかしてます。奥の山(一つ森公園?)の桜もうっすらピンク色
羽越本線を貨物列車が通ったけど、
写真はこの程度
桜並木そのものは、やっぱり見事。
愛宕下橋から下流方向
おいでの際は、車に気をつけて。
先日取り上げた、市立秋田南中学校。
1978年までは、現在地から800メートルほど離れた場所にあった。
その場所は、南中より前は、市立秋田商業高校の初代校地であったり、さらに以前は海岸部に防風林を作った栗田定之丞の生誕地であったりもしたようで、表示や記念碑がある。
現在は、秋田市楢山地区コミュニティセンターや緑地になっている。
町名は、南中にちなんで「楢山南中町(ならやまみなみなかちょう)」。(1967年にできた町名だから、命名当時は、ここに南中が「かつてあったこと」ではなく「現にあること」にちなんだことになる)
その1番地
南側は「楢山街区公園」(いわゆる児童公園)で、敷地内に数本の桜がきれいに咲いていた。
1956(昭和31)年から供用されている公園のようなので、南中があった当時から公園だったようだ。
秋田市の都市公園共通の、擬木の一面を平らにして毛筆で公園の名称を記した表札。
その上に何かある
瓶に桜の小枝
折れてしまった枝か何かを、近所の人がいけたのだろうか。なんとなく風流。
以下、桜以外の話題。
4月上旬の強風によると思われる被害。楢山コミセンのテニスコートのフェンスが、
倒れていた(後ろの建物がコミセン)
風によるものかどうかは分からないけれど、近くの道路の「方面及び方向」の案内標識。
判読不可能
以前から柱がサビサビであり、文字も剥がれかけてはいたが、かろうじて判読はできていた。
それがいつの間にか、文字がさらに剥がれてしまっていた。
なお、書かれていた文字は、左折側が下向き三角(国道のマーク)に「13」、右折の上の文字が「楢山」、下が「登町」。
【5月25日追記】5月24日現在、変化なし。【7月11日追記】7月10日現在、変化なしの模様。【2013年12月10日追記】2013年12月上旬でも変化なし。その後、ついに新しくされた。
もう1つ、近くのとある医療機関の駐車場の看板。
「満車の時は第2へ/隣家のとなり」
分かりにくい。
上段は「(この駐車場が)満車の時は、第2(駐車場)へ」という意味。
下段は「その第2駐車場は、この駐車場の隣の隣にあります」と言いたいらしい。
「“隣”家の“となり”」と、漢字とかなで「トナリ」を示しているのが複雑だが、さらに複雑なことに、実はここのお隣さんは「家(一般住宅)」ではなく、お寺。
だから正しくは「お寺を挟んで反対側」、「隣のお寺のとなり」でなければならない。