日曜お昼といえば「NHKのど自慢」(以下「のど自慢」と表記)。
1946年放送開始で70年を迎えようとする長寿番組であり、ある意味「偉大なるマンネリ」のようでもあるが、いろいろと変化は経てきた。
ラジオからテレビへの移行(今もラジオでもやっている)、司会のアナウンサーの交代はもちろんだが、「そう言えばいつの間にか変わっているな」ということもいろいろある。
例えば、
・1回当たりの出場者は現在は20組だが、もう少し多い時期があった。(昭和時代~平成初期? と2005年の宮本隆治アナウンサーが司会登板後の一時期。2005年の時は素人目にも「尺」が足りなくなるのが分かるほど苦しい進行になり、早々に20組に戻された)
・現在はステージ右側にベンチが置かれ、20組が最初から最後までステージ上にいる(応援しながら待機)が、かつては順番に1組ずつ裏から登場して、歌い終わると退場していた。(「爆笑!レッドカーペット」みたいなものか)
※その当時、舞台右側には、(鐘と?)ゲスト歌手と民謡の伴奏者だけがいた。当時はどこの土地からでも1~2組は民謡を歌う出場者がいたかと思う。現在は、民謡奏者はステージ左端にいるが、その出番は北東北各県と北海道程度になってしまった。
・現在は、出場者は登場時に司会者から簡単な紹介があって、歌い終わると全員が必ず司会者やゲスト歌手と会話するが、以前は多くの人が司会者に「ありがとうございました」「ごくろうさまでした。次の方どうぞ」と声をかけられる程度ですぐに退場し、一部の人だけが「ちょっとお話を伺いましょう」とインタビューされていた。(上記1人ずつ登場していた頃と同時期?)
・伴奏にシンセサイザー(キーボード)が加わった。当初は1人だけでアコーディオンと共存していたが、後にアコーディオンがなくなって、シンセサイザー2人体制になって現在に至る。
デジタルシンセサイザーは1985年頃に普及したが、のど自慢ではそれ以前から使われていたので、最初はアナログシンセサイザーだったのだろう。
アコーディオンは、鐘とともにのど自慢の象徴と言っても過言ではなく、それが廃止されたのは大きな転換点であったはずだが、NHKの資料(ネット上ですが)でも、その時期を明言しているものは見当たらない。(アコーディオンとシンセサイザーが共存していなかったかのように記述された、明らかに誤ったものすらある)のど自慢の伴奏者は、地域ごとに違っているので、もしかしたら移行時期も全国同時ではなかったのかもしれない。
【2023年7月5日追記】1981年1月の奈良県では、シンセサイザーがまだいなかった。5人態勢。また、奏者は誰もヘッドフォンを付けておらず、タイミングはアイコンタクト、リズム・テンポは各自の感覚で演奏していたようだ。1980年代後半頃になると、ドラムやベースの奏者がヘッドフォンを付け、クリック音を聴きながら演奏して、テンポを保つようになる。そして、アコーディオンがいなくなった辺りで、全員がヘッドフォンを付け、クリックとバンドマスター(基本的にピアノ奏者)の声の指示で演奏するようになる。
【2023年10月14日追記】1983年の埼玉県では、シンセサイザーがいた。また、全員か一部かは不明だが、ヘッドホンを着けた奏者もいた。
【2019年3月20日追記】1980年代後半の沖縄県では、アコーディオンの代わりにサックスがいた(シンセサイザーはいた)こともあったようだ。
【2021年8月4日追記】1991年初め頃と思われる東京都では、アコーディオンもいる上で、シンセサイザーが2人、つまりバンドが計7名だった。シンセサイザーの1人はそれ以前からいたと思われる年配の人でアナログシンセサイザー、もう1人は若くてデジタルシンセサイザー(その後降板した後、再度担当して2021年時点でも演奏している方のようだ)を弾いていた。ピアノ・編曲担当はアコーディオンがいなくなった後、2021年現在も担当している宮下博次/西原悟 両氏ではない人なので、アコーディオンのほんとうに末期の過渡的な形態だったのだろうか。【2023年7月9日補足・確認したのはゲストの歌のシーン。ゲストの歌の伴奏のためだけに、追加でデジタルシンセサイザーを投入したという可能性もあるかもしれない。(上記、1981年の奈良県では、ギターが1人追加されていたようなので)】
・昔はテーマ曲のアレンジが若干異なった。特に曲の終わりの部分。
・昔は、ゲスト歌手の歌の伴奏もカラオケではなく、出場者と同じバンドが生で演奏していた。【2023年4月5日追記・Wikipediaでは「2003年あたりからカラオケ」に切り替わったような記述があるが、実際にはそれ以前から使われていたと記憶する。実際、1996年の九州でカラオケなのを確認。】
【2016年11月28日追記】2016年11月6日の広島県福山市からの放送では、ゲストのPUFFYが「渚にまつわるエトセトラ」を生バンドで歌った。コーラス部分は収録したものを再生。ゲストのもう1人鳥羽一郎はカラオケ。
これまでも、ゲストが自前のバンドやピアノ奏者を連れてきて生演奏で歌うことはあったものの、出場者と同じバンドの演奏でゲストが歌うのは、少なくとも10年以上ぶりだろう。
【2018年8月10日追記】2018年8月5日の札幌市からの放送では、松山千春が生バンドで「大空と大地の中で」を歌唱。
マイクは、トーク部分ではワイヤレスマイクだったのを、ワイヤード(有線)マイクに持ち替えて登場。「NHK」ロゴが入っていたので、マイマイクではなさそうだったが、典型的なオーソドックスな形のマイク。また、バンドのギター奏者は、エレキからアコースティックに持ち替えていた(通常ののど自慢では行わない)。
編曲・ピアノはパフィーの時と同じ、西原悟氏。もう1人の細川たかしはカラオケ伴奏。
【2018年9月14日追記】2018年9月2日の山梨県甲州市からの放送では、イルカが「人生フルコース」を歌唱。ギターと電子ピアノは、イルカ専属の奏者が登壇したが、ドラムとベースはのど自慢のバンドが演奏するという、変則的な生演奏。弾いていなかったはずだが、編曲・ピアノは西原氏。以前(秋田県大館市)イルカが出演した時は、専属奏者の演奏(ピアノだけ?)だったはず。
【2018年12月9日追記】2018年12月9日の大分市からの放送では、南こうせつが「神田川」をギターを弾きながら歌唱。バイオリン奏者を連れてきたが、ピアノ(西原氏)とベースはのど自慢バンド。
【2019年3月20日追記】2019年3月10日の宮城県気仙沼市からの放送(時間拡大・ゲスト3人)では、ゆずが「夏色」を「特別にのど自慢バンドと共演」して歌った。ピアノは西原氏。時間の関係なのか、やけにアップテンポだった。
※以降のゲスト生バンド歌唱はこの記事末尾。
・一時期(昭和末期か平成初期頃?【2021年10月8日追記・1988年度では歌っておらず、代わりに認知度の高い歌を全員で歌っていた。】)、最初(オープニングと開催地紹介の間)に「のど自慢の歌(作詞作曲:中山大三郎らしい)」という短い歌を、全出場者とゲスト歌手、司会者で歌っていた。
「♪この町が好きだから ふれあいが好きだから」という歌い出し。
さて、2015年に、のど自慢に2つの変化が起こるらしい。
1つは、昨年末の特番で公式に明らかにされたのだが、4月からの出場者の年齢引き下げ。
現在は高校生以上なのが、中学生以上になる。
10年ほど前は「BSジュニアのど自慢」という番組もあったが、のど自慢本体の若返りを狙ったのだろうが、どうなるだろう。
もう1つは、公式には発表されず、しかも迷走気味な変化。
年末年始は、毎週のようにマラソンや駅伝が中継されるため、2015年に入ってからののど自慢は、1月25日、2月1日、8日の3回しか放送されていない。(これは毎年のこと)
最初の2回の放送で、大きな変化があった。
合格者の住まいと氏名が一切放送されなかったのだ。
のど自慢の合格者は「おところとお名前は」と尋ねられ、「秋田市から来ました、佐竹です」などと答えられるのは、合格者の“特権”であった。(合格しなくても、会話や応援の横断幕から名前が分かる場合もある。逆に、たまに司会者が聞き忘れて後で謝ることも)
最後のチャンピオン発表前、合格者が整列する時にも「x番の『○○○○』を歌った佐竹さん」と、司会者から紹介されていた。(時間が押している時は、断った上で番号のみで呼ばれる場合もある)
ところが、今年の最初は、合格しても名前を聞かず「おめでとうございました」程度で合格しなかった人と同じように席に戻され、整列時も番号だけ、チャンピオンの発表も「○番の方です」だけだったはず。
個人情報保護法施行からはだいぶ時間が経つし、了承の上で好き好んで出場しているのだから個人情報保護には該当しそうにない。ただ、昨今はネットで調べれば住所まで特定し得る時代だから、こうなったのかななどと考えていた。
ところが、今日2月8日の放送では、昨年までと同じく、住まいと名前を出していた。(事前に収録した回ではない)
わずか2回だけで元に戻ってしまったことになるが、何だったんだろう。→その後の状況など。
おところお名前と言えば、宮本隆治アナウンサーが司会だった頃、若い女性の合格者が「オトコの名前は?」と聞かれたと勘違いし、交際している男性の名前を言った(言いそうになった?)らしい。【3月22日追記】その後、3月22日の放送でも、小田切アナウンサーに聞かれた韓国人男性が、同様に「え? 男?」と戸惑う場面があった。
また、なぜか年齢まで答えてしまった人とか、昔は番地まで細かく答えてしまう人もけっこういた。
おところは市町村名まででいいわけだが、平成の大合併後は、あえて合併前の市町村名を言う人もいて、例えば静岡市清水区(旧・清水市)からの放送では、ほとんどの合格者が「静岡市清水(区)」とか「旧清水市」と答えていて、地域への愛着を垣間見ることができた。
また、例えば秋田県湯沢市からの放送で「鹿角市から来ました」、青森県弘前市からの放送で「大間町から」など、同一県内でも遠方から来たことが分かると、観客から「おーっ!」と歓声が上がるのも、ほほえましかった(地理的事情を知らない視聴者には、なぜ盛り上がっているのか分からないわけですが)。
名前はともかく、どこから来た人が合格したのかが分かると、のど自慢をより楽しく見ることはできるのではないだろうか。
ついでに、のど自慢で歌われる曲について。どんな歌を歌ってもいいのだろうか。
聞いたこともないご当地ソングを歌う人とか、ものすごく昔の歌とか、マイナーな歌が歌われることがある。
昔のNHKは歌手本人が歌う番組でも「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」に替えて歌わされたとか言うが、今はそこまでではない。
1月25日には「ようかい体操第一」、2月8日には「夢をかなえてドラえもん」を歌った人がおり、現在、他局で放送中のテレビ番組の主題歌であっても、問題ないことになる。
過去にはサザエさんを歌った人もいたし、放送は終了していたが水戸黄門や「ドラえもんのうた」も歌われた。
個人的には、笑っていいともの「ウキウキWatching」を誰かに歌ってほしい。
権利関係がクリアでき、伴奏ができれば(譜面があれば)あまり制限はなさそうにも思える。
ただ、2005年に松山千春の「大空と大地の中で」が政党のテーマ曲として使われ、タイミング悪く選挙期間中放送ののど自慢で歌った出場者がいた。この時はたまたま事前収録の回だったため、選挙終了後に放送が延期されたが、もし生放送の回だったら、別の曲を歌わされたか、出場を辞退させられていたかもしれない。
最近は、チャゲアスの歌などは厳しそうだし、企業名や商品名を連呼するような歌(リゲインの「勇気のしるし」とか)はNHKとしてはアウトだろう。
※2015年度の状況
1946年放送開始で70年を迎えようとする長寿番組であり、ある意味「偉大なるマンネリ」のようでもあるが、いろいろと変化は経てきた。
ラジオからテレビへの移行(今もラジオでもやっている)、司会のアナウンサーの交代はもちろんだが、「そう言えばいつの間にか変わっているな」ということもいろいろある。
例えば、
・1回当たりの出場者は現在は20組だが、もう少し多い時期があった。(昭和時代~平成初期? と2005年の宮本隆治アナウンサーが司会登板後の一時期。2005年の時は素人目にも「尺」が足りなくなるのが分かるほど苦しい進行になり、早々に20組に戻された)
・現在はステージ右側にベンチが置かれ、20組が最初から最後までステージ上にいる(応援しながら待機)が、かつては順番に1組ずつ裏から登場して、歌い終わると退場していた。(「爆笑!レッドカーペット」みたいなものか)
※その当時、舞台右側には、(鐘と?)ゲスト歌手と民謡の伴奏者だけがいた。当時はどこの土地からでも1~2組は民謡を歌う出場者がいたかと思う。現在は、民謡奏者はステージ左端にいるが、その出番は北東北各県と北海道程度になってしまった。
・現在は、出場者は登場時に司会者から簡単な紹介があって、歌い終わると全員が必ず司会者やゲスト歌手と会話するが、以前は多くの人が司会者に「ありがとうございました」「ごくろうさまでした。次の方どうぞ」と声をかけられる程度ですぐに退場し、一部の人だけが「ちょっとお話を伺いましょう」とインタビューされていた。(上記1人ずつ登場していた頃と同時期?)
・伴奏にシンセサイザー(キーボード)が加わった。当初は1人だけでアコーディオンと共存していたが、後にアコーディオンがなくなって、シンセサイザー2人体制になって現在に至る。
デジタルシンセサイザーは1985年頃に普及したが、のど自慢ではそれ以前から使われていたので、最初はアナログシンセサイザーだったのだろう。
アコーディオンは、鐘とともにのど自慢の象徴と言っても過言ではなく、それが廃止されたのは大きな転換点であったはずだが、NHKの資料(ネット上ですが)でも、その時期を明言しているものは見当たらない。(アコーディオンとシンセサイザーが共存していなかったかのように記述された、明らかに誤ったものすらある)のど自慢の伴奏者は、地域ごとに違っているので、もしかしたら移行時期も全国同時ではなかったのかもしれない。
【2023年7月5日追記】1981年1月の奈良県では、シンセサイザーがまだいなかった。5人態勢。また、奏者は誰もヘッドフォンを付けておらず、タイミングはアイコンタクト、リズム・テンポは各自の感覚で演奏していたようだ。1980年代後半頃になると、ドラムやベースの奏者がヘッドフォンを付け、クリック音を聴きながら演奏して、テンポを保つようになる。そして、アコーディオンがいなくなった辺りで、全員がヘッドフォンを付け、クリックとバンドマスター(基本的にピアノ奏者)の声の指示で演奏するようになる。
【2023年10月14日追記】1983年の埼玉県では、シンセサイザーがいた。また、全員か一部かは不明だが、ヘッドホンを着けた奏者もいた。
【2019年3月20日追記】1980年代後半の沖縄県では、アコーディオンの代わりにサックスがいた(シンセサイザーはいた)こともあったようだ。
【2021年8月4日追記】1991年初め頃と思われる東京都では、アコーディオンもいる上で、シンセサイザーが2人、つまりバンドが計7名だった。シンセサイザーの1人はそれ以前からいたと思われる年配の人でアナログシンセサイザー、もう1人は若くてデジタルシンセサイザー(その後降板した後、再度担当して2021年時点でも演奏している方のようだ)を弾いていた。ピアノ・編曲担当はアコーディオンがいなくなった後、2021年現在も担当している宮下博次/西原悟 両氏ではない人なので、アコーディオンのほんとうに末期の過渡的な形態だったのだろうか。【2023年7月9日補足・確認したのはゲストの歌のシーン。ゲストの歌の伴奏のためだけに、追加でデジタルシンセサイザーを投入したという可能性もあるかもしれない。(上記、1981年の奈良県では、ギターが1人追加されていたようなので)】
・昔はテーマ曲のアレンジが若干異なった。特に曲の終わりの部分。
・昔は、ゲスト歌手の歌の伴奏もカラオケではなく、出場者と同じバンドが生で演奏していた。【2023年4月5日追記・Wikipediaでは「2003年あたりからカラオケ」に切り替わったような記述があるが、実際にはそれ以前から使われていたと記憶する。実際、1996年の九州でカラオケなのを確認。】
【2016年11月28日追記】2016年11月6日の広島県福山市からの放送では、ゲストのPUFFYが「渚にまつわるエトセトラ」を生バンドで歌った。コーラス部分は収録したものを再生。ゲストのもう1人鳥羽一郎はカラオケ。
これまでも、ゲストが自前のバンドやピアノ奏者を連れてきて生演奏で歌うことはあったものの、出場者と同じバンドの演奏でゲストが歌うのは、少なくとも10年以上ぶりだろう。
【2018年8月10日追記】2018年8月5日の札幌市からの放送では、松山千春が生バンドで「大空と大地の中で」を歌唱。
マイクは、トーク部分ではワイヤレスマイクだったのを、ワイヤード(有線)マイクに持ち替えて登場。「NHK」ロゴが入っていたので、マイマイクではなさそうだったが、典型的なオーソドックスな形のマイク。また、バンドのギター奏者は、エレキからアコースティックに持ち替えていた(通常ののど自慢では行わない)。
編曲・ピアノはパフィーの時と同じ、西原悟氏。もう1人の細川たかしはカラオケ伴奏。
【2018年9月14日追記】2018年9月2日の山梨県甲州市からの放送では、イルカが「人生フルコース」を歌唱。ギターと電子ピアノは、イルカ専属の奏者が登壇したが、ドラムとベースはのど自慢のバンドが演奏するという、変則的な生演奏。弾いていなかったはずだが、編曲・ピアノは西原氏。以前(秋田県大館市)イルカが出演した時は、専属奏者の演奏(ピアノだけ?)だったはず。
【2018年12月9日追記】2018年12月9日の大分市からの放送では、南こうせつが「神田川」をギターを弾きながら歌唱。バイオリン奏者を連れてきたが、ピアノ(西原氏)とベースはのど自慢バンド。
【2019年3月20日追記】2019年3月10日の宮城県気仙沼市からの放送(時間拡大・ゲスト3人)では、ゆずが「夏色」を「特別にのど自慢バンドと共演」して歌った。ピアノは西原氏。時間の関係なのか、やけにアップテンポだった。
※以降のゲスト生バンド歌唱はこの記事末尾。
・一時期(昭和末期か平成初期頃?【2021年10月8日追記・1988年度では歌っておらず、代わりに認知度の高い歌を全員で歌っていた。】)、最初(オープニングと開催地紹介の間)に「のど自慢の歌(作詞作曲:中山大三郎らしい)」という短い歌を、全出場者とゲスト歌手、司会者で歌っていた。
「♪この町が好きだから ふれあいが好きだから」という歌い出し。
さて、2015年に、のど自慢に2つの変化が起こるらしい。
1つは、昨年末の特番で公式に明らかにされたのだが、4月からの出場者の年齢引き下げ。
現在は高校生以上なのが、中学生以上になる。
10年ほど前は「BSジュニアのど自慢」という番組もあったが、のど自慢本体の若返りを狙ったのだろうが、どうなるだろう。
もう1つは、公式には発表されず、しかも迷走気味な変化。
年末年始は、毎週のようにマラソンや駅伝が中継されるため、2015年に入ってからののど自慢は、1月25日、2月1日、8日の3回しか放送されていない。(これは毎年のこと)
最初の2回の放送で、大きな変化があった。
合格者の住まいと氏名が一切放送されなかったのだ。
のど自慢の合格者は「おところとお名前は」と尋ねられ、「秋田市から来ました、佐竹です」などと答えられるのは、合格者の“特権”であった。(合格しなくても、会話や応援の横断幕から名前が分かる場合もある。逆に、たまに司会者が聞き忘れて後で謝ることも)
最後のチャンピオン発表前、合格者が整列する時にも「x番の『○○○○』を歌った佐竹さん」と、司会者から紹介されていた。(時間が押している時は、断った上で番号のみで呼ばれる場合もある)
ところが、今年の最初は、合格しても名前を聞かず「おめでとうございました」程度で合格しなかった人と同じように席に戻され、整列時も番号だけ、チャンピオンの発表も「○番の方です」だけだったはず。
個人情報保護法施行からはだいぶ時間が経つし、了承の上で好き好んで出場しているのだから個人情報保護には該当しそうにない。ただ、昨今はネットで調べれば住所まで特定し得る時代だから、こうなったのかななどと考えていた。
ところが、今日2月8日の放送では、昨年までと同じく、住まいと名前を出していた。(事前に収録した回ではない)
わずか2回だけで元に戻ってしまったことになるが、何だったんだろう。→その後の状況など。
おところお名前と言えば、宮本隆治アナウンサーが司会だった頃、若い女性の合格者が「オトコの名前は?」と聞かれたと勘違いし、交際している男性の名前を言った(言いそうになった?)らしい。【3月22日追記】その後、3月22日の放送でも、小田切アナウンサーに聞かれた韓国人男性が、同様に「え? 男?」と戸惑う場面があった。
また、なぜか年齢まで答えてしまった人とか、昔は番地まで細かく答えてしまう人もけっこういた。
おところは市町村名まででいいわけだが、平成の大合併後は、あえて合併前の市町村名を言う人もいて、例えば静岡市清水区(旧・清水市)からの放送では、ほとんどの合格者が「静岡市清水(区)」とか「旧清水市」と答えていて、地域への愛着を垣間見ることができた。
また、例えば秋田県湯沢市からの放送で「鹿角市から来ました」、青森県弘前市からの放送で「大間町から」など、同一県内でも遠方から来たことが分かると、観客から「おーっ!」と歓声が上がるのも、ほほえましかった(地理的事情を知らない視聴者には、なぜ盛り上がっているのか分からないわけですが)。
名前はともかく、どこから来た人が合格したのかが分かると、のど自慢をより楽しく見ることはできるのではないだろうか。
ついでに、のど自慢で歌われる曲について。どんな歌を歌ってもいいのだろうか。
聞いたこともないご当地ソングを歌う人とか、ものすごく昔の歌とか、マイナーな歌が歌われることがある。
昔のNHKは歌手本人が歌う番組でも「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」に替えて歌わされたとか言うが、今はそこまでではない。
1月25日には「ようかい体操第一」、2月8日には「夢をかなえてドラえもん」を歌った人がおり、現在、他局で放送中のテレビ番組の主題歌であっても、問題ないことになる。
過去にはサザエさんを歌った人もいたし、放送は終了していたが水戸黄門や「ドラえもんのうた」も歌われた。
個人的には、笑っていいともの「ウキウキWatching」を誰かに歌ってほしい。
権利関係がクリアでき、伴奏ができれば(譜面があれば)あまり制限はなさそうにも思える。
ただ、2005年に松山千春の「大空と大地の中で」が政党のテーマ曲として使われ、タイミング悪く選挙期間中放送ののど自慢で歌った出場者がいた。この時はたまたま事前収録の回だったため、選挙終了後に放送が延期されたが、もし生放送の回だったら、別の曲を歌わされたか、出場を辞退させられていたかもしれない。
最近は、チャゲアスの歌などは厳しそうだし、企業名や商品名を連呼するような歌(リゲインの「勇気のしるし」とか)はNHKとしてはアウトだろう。
※2015年度の状況