高瀬久男さんが亡くなった。
一週間前のことだ。
日本を代表する舞台演出家の一人で、
個人的にはW・ローズの公演
『ROSE』でご一緒させて頂いた。
2012年、秋。
稽古も本番もブレヒトの芝居小屋。
80歳のユダヤ人女性の半生を描いた
マーティン・シャーマンの優れた戯曲
『ROSE』は世界各国で上演されている。
日本初演は、高瀬さんが指導する
文学座の養成所の発表会。
ただそれは、膨大な台詞の一人芝居を
役者の卵たちで割って上演したものだった。
その流れとは別に。
演劇評論家のみなもとごろう氏が
日本初演を模索していた。
今は亡き木山潔氏ら何人ものプロデューサーに
『ROSE』は委ねられたが
実現には至らなかった。
何年も何年も…。
2011年。
東京演劇アンサンブルの志賀澤子の手に
『ROSE』がわたり、その制作は、
とある別の新劇団のY氏が担う形で
「本格初演」へと動き始めた。
前段の養成所公演の話を知り、
志賀が高瀬さんに演出を依頼すると
彼は自分が信頼を置くスタッフ陣
(美術、音響、舞台監督)とともに
武蔵関に乗り込んできた。
話が前後するけれど、
Y氏が公演中の亀戸に呼ばれ、
志賀と僕の三人で会って、
制作のクレジットは僕になった。
まだ暑い季節だった。
そして始まった稽古は
張り詰めた空気に満ちていた。
高瀬さんのスケジュールを鑑み、
短い時間ではあったけれど、
その濃度は実に濃いものだった。
※※※
初演をご覧になったシアターΧの
上田支配人の眼鏡に適って、
翌年からは会場を両国に移して、
「月に一度のロングラン」という
稀有な企画が急遽決まった!
多忙な高瀬さんの手帳は既にいっぱいで
演出からは外れたけれど……
彼の骨の上に新しい血肉を纏って、
毎回少しずつ成長し、昨日が
リスタートして21回目の上演だった。
制作は受付に立っているので、
本番を見る事が難しいけれど、
昨日は我侭を行って客席に身を置いた。
高瀬さんに恥ずかしくない出来だった。
※※※
昨日から何度も書いては消して、
消しては書いたけれども、
どうもまとまりそうにないので、
投稿することにした。
不世出の舞台演出家のご冥福を祈りながら。
一週間前のことだ。
日本を代表する舞台演出家の一人で、
個人的にはW・ローズの公演
『ROSE』でご一緒させて頂いた。
2012年、秋。
稽古も本番もブレヒトの芝居小屋。
80歳のユダヤ人女性の半生を描いた
マーティン・シャーマンの優れた戯曲
『ROSE』は世界各国で上演されている。
日本初演は、高瀬さんが指導する
文学座の養成所の発表会。
ただそれは、膨大な台詞の一人芝居を
役者の卵たちで割って上演したものだった。
その流れとは別に。
演劇評論家のみなもとごろう氏が
日本初演を模索していた。
今は亡き木山潔氏ら何人ものプロデューサーに
『ROSE』は委ねられたが
実現には至らなかった。
何年も何年も…。
2011年。
東京演劇アンサンブルの志賀澤子の手に
『ROSE』がわたり、その制作は、
とある別の新劇団のY氏が担う形で
「本格初演」へと動き始めた。
前段の養成所公演の話を知り、
志賀が高瀬さんに演出を依頼すると
彼は自分が信頼を置くスタッフ陣
(美術、音響、舞台監督)とともに
武蔵関に乗り込んできた。
話が前後するけれど、
Y氏が公演中の亀戸に呼ばれ、
志賀と僕の三人で会って、
制作のクレジットは僕になった。
まだ暑い季節だった。
そして始まった稽古は
張り詰めた空気に満ちていた。
高瀬さんのスケジュールを鑑み、
短い時間ではあったけれど、
その濃度は実に濃いものだった。
※※※
初演をご覧になったシアターΧの
上田支配人の眼鏡に適って、
翌年からは会場を両国に移して、
「月に一度のロングラン」という
稀有な企画が急遽決まった!
多忙な高瀬さんの手帳は既にいっぱいで
演出からは外れたけれど……
彼の骨の上に新しい血肉を纏って、
毎回少しずつ成長し、昨日が
リスタートして21回目の上演だった。
制作は受付に立っているので、
本番を見る事が難しいけれど、
昨日は我侭を行って客席に身を置いた。
高瀬さんに恥ずかしくない出来だった。
※※※
昨日から何度も書いては消して、
消しては書いたけれども、
どうもまとまりそうにないので、
投稿することにした。
不世出の舞台演出家のご冥福を祈りながら。