アイドルの曲名と浪花節のテーマを
くっつけたみたいな題名ですが……

ベトナムでは戸外での飲食が盛んと
過去のブログに書いた。
(『かもめ』ハノイ記motからbay、
及び、ベトナムこぼれ噺・前後編)
店に限らず、住居の外でも
銭湯の小さな椅子みたいなプラ製の
簡単な作りに老若男女が腰掛けて、
語り、飲み食らう、楽しげな景色が
かなり深い時間まで見られた。
転じて日本の冬。
こじゃれた店のテラスでは
ケーキやら紅茶をテーブルに会話する
カップルだの友人同士の姿……。
こんなに寒いのに
わざわざお金を払ってまで
何故そこが良いのか理解に苦しむ。
恐らくは。
そのお目当が美味しいのだろう。
そうに決まっているが、外で?
余り食に興味がないからの感想で、
「寒風荒ぶ中スタンドでサッカーを
ただ見ているだけよりましよぉ、
甘い食べ物温かい飲み物があるもの」
と言われれば返す言葉がない。

ふと思い出す。
放課後の小学校の校庭のど真ん中で
一個上の先輩と延々立ち話。
憧れの女子ならいざ知らず、
なべじーとみなみっちょだ。
僕は中二、むこうは最上級生。
部活の帰り道、小学校の近くで
偶然出くわして「喫茶店」に、
ってわけにも中坊だから行かず(>_<)
の前に、川崎のはずれの田舎町、
そんな店は駅前にしかねーって話。
渡辺先輩はバスケ部の副将、
南先輩は我がバレー部のレフト。
僕のほかに同学年も誰かいたはず、
だが覚えていない。
大した話をしたわけじゃないが、
終わりかけると次の話題がひょいと、
そんな繰り返しで辺りは暗くなり、
よーやく別れたのだった。
元気がほんとにあり余ってたな
外といえば。
中三のホワイトデーは卒業式より
随分うしろの日にちだった。
でも律儀な僕はお返しに回って、
概ねサクッと終わったのだけれど、
石川ひとみと倉田まり子を足して
二で割ったような、悩める熊谷は
例のごとく男がらみの
(所詮、中学生だから今思えば
たかが知れている話だけれど)
相談をしはじめて、団地の公園の
木のベンチに座って・・・
と、これは別の話。
あの頃。
小学校の校庭はオープンで、
僕は中学の行き帰りに通っていた。
犬の散歩にくる近所の人もいた。
小六。僕らのクラスで流行った
「全面サッカー」のボールに
そんなワンちゃんが絡むことも。
メモ
全面サッカーとは。
我が五組の高橋らの発案。
いわゆるドッヂボールサイズの
コートで球を蹴るのは狭すぎる。
しかしまた、校庭は皆のものでもある。
ドッヂをする組、ひわまりの連中、
お鬼ごっこに縄跳び等を優先させながら
校庭というオールコートでサッカー。
別の遊びの同学年や下級生が
攻め手にとっては障害となる仕組み。
ゴールは野球のバックネットと
築山の二本の滑り台の間。
toshiyediaより。
色んな凶悪事件もあり、
昨今は門を閉じ、入校の際は
記名のうえネックカードを提げたり。
昭和の善き時代。
怪しげな教育教材を売るおっちゃんに
阿漕な人もいたけど、それでも
ぎり敷地じゃないところで待つ、
そーゆー仁義はあったよね。
熊谷はまだ銀座でママをしているのか。
クラブ最高峰の地で仁義ある戦いを
繰り広げていつのだろうか。
これもまた別の話・・・
くっつけたみたいな題名ですが……

ベトナムでは戸外での飲食が盛んと
過去のブログに書いた。
(『かもめ』ハノイ記motからbay、
及び、ベトナムこぼれ噺・前後編)
店に限らず、住居の外でも
銭湯の小さな椅子みたいなプラ製の
簡単な作りに老若男女が腰掛けて、
語り、飲み食らう、楽しげな景色が
かなり深い時間まで見られた。
転じて日本の冬。
こじゃれた店のテラスでは
ケーキやら紅茶をテーブルに会話する
カップルだの友人同士の姿……。
こんなに寒いのに

わざわざお金を払ってまで
何故そこが良いのか理解に苦しむ。
恐らくは。
そのお目当が美味しいのだろう。
そうに決まっているが、外で?
余り食に興味がないからの感想で、
「寒風荒ぶ中スタンドでサッカーを
ただ見ているだけよりましよぉ、
甘い食べ物温かい飲み物があるもの」
と言われれば返す言葉がない。

ふと思い出す。
放課後の小学校の校庭のど真ん中で
一個上の先輩と延々立ち話。
憧れの女子ならいざ知らず、
なべじーとみなみっちょだ。
僕は中二、むこうは最上級生。
部活の帰り道、小学校の近くで
偶然出くわして「喫茶店」に、
ってわけにも中坊だから行かず(>_<)
の前に、川崎のはずれの田舎町、
そんな店は駅前にしかねーって話。
渡辺先輩はバスケ部の副将、
南先輩は我がバレー部のレフト。
僕のほかに同学年も誰かいたはず、
だが覚えていない。
大した話をしたわけじゃないが、
終わりかけると次の話題がひょいと、
そんな繰り返しで辺りは暗くなり、
よーやく別れたのだった。
元気がほんとにあり余ってたな

外といえば。
中三のホワイトデーは卒業式より
随分うしろの日にちだった。
でも律儀な僕はお返しに回って、
概ねサクッと終わったのだけれど、
石川ひとみと倉田まり子を足して
二で割ったような、悩める熊谷は
例のごとく男がらみの
(所詮、中学生だから今思えば
たかが知れている話だけれど)
相談をしはじめて、団地の公園の
木のベンチに座って・・・
と、これは別の話。
あの頃。
小学校の校庭はオープンで、
僕は中学の行き帰りに通っていた。
犬の散歩にくる近所の人もいた。
小六。僕らのクラスで流行った
「全面サッカー」のボールに

メモ

我が五組の高橋らの発案。
いわゆるドッヂボールサイズの
コートで球を蹴るのは狭すぎる。
しかしまた、校庭は皆のものでもある。
ドッヂをする組、ひわまりの連中、
お鬼ごっこに縄跳び等を優先させながら
校庭というオールコートでサッカー。
別の遊びの同学年や下級生が
攻め手にとっては障害となる仕組み。
ゴールは野球のバックネットと
築山の二本の滑り台の間。

色んな凶悪事件もあり、
昨今は門を閉じ、入校の際は
記名のうえネックカードを提げたり。
昭和の善き時代。
怪しげな教育教材を売るおっちゃんに
阿漕な人もいたけど、それでも
ぎり敷地じゃないところで待つ、
そーゆー仁義はあったよね。
熊谷はまだ銀座でママをしているのか。
クラブ最高峰の地で仁義ある戦いを
繰り広げていつのだろうか。
これもまた別の話・・・