麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

廿壱

2017年10月20日 | 身辺雑記
台風21号が上陸必至だとか。


さて廿壱と聞いて、まず思うのは、

誕生日である。母が4月21日、
今同居している女人が8月21日。



小さい時はものの善し悪しが
ちゃんと理解できずにG党だった。
その頃の背番号21は高橋一三。
右の堀内とともに左のエースと。

ちなみに66年、自由競争を廃し、
初めて開催されたドラフト会議。
堀内は1位指名されて21を背負う。
「悲運のエース」藤田元司から
エースナンバーを継承したのが翌年。
その藤田も入団時の背番号は21。
そして、二人とも新人王に輝いた。

背番号46だった高橋が同年21に。
盟主ジャイアンツはリーグ連覇中。
73年には、ついに9連覇を達成!
率いたのは川上哲治監督。

翌年10連覇を逃し、川上は退任。
同年、引退した「ミスター」が
監督に就任するも、そのシーズンは
球団史上初の最下位という結果に。

翌76年、張本と加藤初を巨人は獲得。
トレードで移籍したのが高橋と冨田。
加藤がGの21に。

一方、高橋が袖を通した日本ハムの
ユニフォームは奇しくも18であった。

思えば、このあたりから常勝の為、
「あれも欲しいこれも欲しい病」が
肥大していったような気がする。
けれども、それは別の話。

巨人の21といえば、その後も
宮本和知、高橋尚成と左投手が
担うことが多いのだが……
調べると、2015年にフランシスコ
という謎の名前が・・・誰?

80年代に燕党に転じたから、
僕はまるで記憶にないが……てか、
巨人ファンも知らないのでは?


では。
我がヤクルトの21といえば、
やはり何たって鈴木康二朗。

王貞治の世界新756号本塁打を
打たれた男、と言われがちだが、
その翌年、チーム初優勝に貢献する
13勝3敗で最高勝率賞を戴冠。
それから、ピッチャーながら
通算5本のフェンスオーバーを
記録してもいるのだ。

そのほか「みなとみらい21」等、
21世紀にちなんだあれやこれや、
ビール瓶のふたの溝の数など。
・・・でも。
嗚呼、野球ネタが長過ぎた

台風21号の被害が少ないことと、
ケイン・コスギがエレベータで
21を押してしまう不思議な病から
一日も早く回復することを願い、
一度この稿は閉じることにする。
コメント
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