JTというのは我々昭和世代には「専売公社」で、
僕を含めたバレーボーラーにとっては、
猫田であり、西本であり、下村、原、栗生澤らの
「専売広島」の面々を思い起こすわけである。
その後も名選手は輩出するけれど、彼等は
JTサンダースのプレーヤーになってしま……
ん? もともとJTの話では?
そう、その企業のコマーシャルで
『想うた』シリーズが素敵である
ただ僕のように見流していると、今OA中の
「姉妹を想う」篇がシリーズ第五弾であって、
これまでのシリーズの主人公・村上の恋人
二宮遙と、その妹・藍の話であり、
しかも遙は地元の松山市で働く美容師、
妹の藍は地元を離れて東京へ……って展開を、
あの短いCMからでは読み取れないのである。
ぼんくらな僕はこの稿を書くべくHPを検索。
その中で。
「日本たばこ産業」の素晴らしい映像作品の
魅力を語る「サスケ」という二人組
(奥山裕次、北清水雄太)にヒットした。
我々昭和世代にとって「サスケ」とくれば、
白土三平の漫画作品・・・光文社の漫画雑誌
『少年』にて1961年~66年連載・・・を
アニメ化した『サスケ』がインパクト大である。
初回放送は68年だそうだが、繰り返し繰り返し
再放送され、主人公サスケはじめ父の大猿、
母や、父の再婚でできた姉など
魅力的キャラクターが多かった。
余談になるが
大猿の盟友・霧隠才蔵の声に近石真介。
後に、まさか彼が代表(当時)を務める劇団に
入るとは、ハナタレ小僧は思いもしなかった。
そうそう幹部面接の前に、まず「近さん」と
一対一で話したのだった。…まじ、緊張した。
1997年のことだ。
大猿は文化座の外山高士、
母にはテアトルエコーの平井道子等々、
新劇俳優が主要の役に配されていた時代……
だが、それはまた別の話。
環七沿いのファミレスで緊張していた97年、
前座の五街道わたしから、二つ目に昇進し、
同時に五街道佐助となったのは、
93年、五街道雲助に入門した村上だ。
もともと役者志望で、佐助時代はまだ
二足の「わたし」ならぬ草鞋を履いていた。
僕が制作で、佐助は役者として、
『リョーマの休日』という舞台で出会った。
その縁に甘えて、その後も・・・
町内会のイベントで一席語って貰ったり、
アマチュア演劇講座の特別講師を頼んだり、
嗚呼、懐かしいにも程がある……。
2007年真打ち。四代目隅田川馬石に。
この年、第12回 林家彦六賞も受賞。
11回が柳家三三、10回は兄弟子の
三代目桃月庵白酒(当時五街道喜助)、
遡れば、第2回に立川談春、
翌年には第十一代桂文治(当時桂平治)
といった顔ぶれの並ぶ大きな賞に輝いている。
そんか馬石・・・僕にとっては佐助・・・の
初高座は『道灌』であった。
つづく。