笹山栄一
1931年3月13日、三重県生まれ。
下村正夫らが創設した新演劇研究所に学び、
後継劇団の新演に参加。師・下村と
演出研究所の八田元夫を中心に発足した
東京演劇ゼミナール(1959年)を経て、
62年に劇団東演へと発展した歩みにも共した。
以来、旗揚げメンバーが鬼籍に入るなか、
最後の一人として東演を牽引した俳優である。
今年の3月13日、91歳の誕生日を迎え、
その二日後、天寿を全うした。
私が、ひょんなことから東演に籍を置いたのが97年。
その時、笹山さんは60歳半ば。
劇団運営には一切かかわらず、役者道を邁進していた。
私が多少は制作者らしくなって、企画から予算組、宣伝等々、
まるっとプロデュースを任されるようになって
手掛けた作品たち・・・
『温室の花』(03年、作/今井一隆)
『浄瑠璃の庭』(04年、作/藤井貴里彦)
『大地のカケラ』(06年、作/はせひろいち)*
『空ゆく風のこいのぼり』(08年、作/藤井貴里彦)
演出/磯村純(無印)、河田園子(*)
・・・そこには欠かさず笹山さんがいた。
飄々とした演技はどれも印象的だが
『浄瑠璃~』は特に印象深い。
私が東演を巣立ったあとも「またやりたい」と
言ってもらえた作品の一番手だった。
誕生日から間もなくの逝去と書いた。
16日は、今私の居る俳優座のラボ38の初日。
舞台監督は八木澤賢。
彼も元東演で、単身の笹山さんの面倒をみてきた男だ。
彼の仕事の邪魔にならないよう前日に逝ったのは、
「笹じい」の最期のやさしさだったと勝手に思う。
素足にサンダルで、自転車を漕いで稽古場へ。
私は2009年に退団したから、
それは随分と昔の風景だったりもする。
食いしん坊だった「笹じい」に下北沢の桜の下、
花見でたらふく食べて、話して、笑って……
ここ数年、開催できなかったのはちょびっとだけ
心残りだったりはする。
劇団の拠点「東演パラータ」で、昨日、送る会。
ラボ38を終えてから逢いに行ったので22時過ぎ着。
もちろん会は終わって「寝ずの番」の劇団員のみ。
なんとか挨拶だけはできた。
誤解を恐れずに言うと、挨拶は形式的に済ませた。
俳優・笹山栄一は亡くなっていないし、
今後も、すぐ近く……はさすがに勘弁だけれど、
彼の台詞や人物造形よろしく、良い塩梅の距離で
私の近くに居ると、これもまた勝手に思う。
昨日、誕生日を祝う話を書いた。
来るひと去るひと。季節のめぐり。
やすらかに、笹じい。