たくさんの紙幣を扱うときに
10枚でまとめて、
うち1枚を半折で挟むことがある。
1000円なら壱萬円の束だ。
その際、バラバラをきらい、
札の天地と表裏を揃える人、
いますよね
⋯⋯わたしもやる時があります。
最初はスピード重視で揃えず、
検算が合わない場合の二度目に
重なりがないか確認を含めて⋯。
今時は新札旧札が混じるから、
揃える派は、たくさんじゃなくても
財布の中の金種を、
それぞれ天地表裏きれいに整える人、
そこそこいるのだろうなぁ。
どの程度の人がそーしてるか、
そんな奇特な研究をしている
人間行動学やら社会心理学やらの
先生もいるのかしらん。
「整」は〈束+攵+正〉から成り、
「束」は、たきぎをたばねた象形文字、
「攵」の音はホク、ボク。
部首のイメージだが立派な漢字で
うつ、たたくの意味を持つ。
「正」自体が複合されていて〈一+止〉。
その「一」はoneではなく周囲をかこむ意の
「囗(イ)」という独立した字と繋がり、
つまり「囲」「国」などクニガマエの元だ。
我々もつかっている漢字を簡略化して
「簡体字」を作り、数億いる国民の
識字率を高めようとした隣国の、
簡略化のセンスに納得いかないものが
少なくないけれど、
「囗(イ)」を略して「一」とする
古人の末裔なのだから、
前段のセンスは納得できちゃうとも
考えられるな〜
話が逸れた。
「止」は、足の象形で歩くの意もある。
まとめると城壁に囲まれた国を攻める、
それが会意文字の「正」。
意外だ!
間違っていないの意の「ただしい」が
今では第一義だけれど、
文字のルーツは非平和的でまるで
「ただしくない」。
いや。
国を攻めることが正しい時代は
地球という物差でいえば、長い。
てか、今でもそう考える層があり、
戦火はやまないわけである。
そして、その種族はまた、
札にも関心を強く持つ。
⋯⋯でもきっと天地表裏を整え、
10枚でくくることはしない。
しないじゃなく、できないくらいの
紙幣や金銀財宝と暮らしている。
嗚呼、いつかは整う日が来るのかな。