麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

まったく別の整

2024年12月23日 | 身辺雑記

〈整〉といえば、小説家、詩人、

文芸評論家、翻訳家の伊藤整を

ふつうに思い浮かべるわけである。

 

1905年(てことは明治の後ろの方)

北海道に生まれて、1969年

(東名高速開通、カネヤン400勝の年)

世を去った本名伊藤整(ひとし)は、

〈整〉のわりに無頼派。

 

つまり坂口安吾、太宰治、織田作之助

らと同じくくりなわけだが、

小説『氾濫』『変容』『発掘』などの

代表作より先に「チャタレー事件」が

想起されるのは私だけではないだろう。

 

D・H・ローレンスの小説

『チャタレイ夫人の恋人』を訳した伊藤

(版元の小山書店社長小山久二郎も)が

わいせつ物頒布罪が問われた事件だが、

日本における「わいせつとは」を論じた

裁判とその周辺のさまざままが「事件」と

称されたところが大変興味深い。

1950年起訴、57年上告棄却で終結。

 

そーゆー時代だったわけである。

 

昨今の炎上を例に出すまでもなく

「事件」は衆目が集まるから、

54年のベストセラーの1、3、5位

(順に『女性に関する十二章』、

『火の鳥』、『文学入門』)を占め

評論『文学と人間』などと合わせて

年間70万部を売り上げた、らしい。

 

まさに時代の寵児。

そして石原慎太郎の『太陽の季節』を

「いやらしいもの、ばかばかしいもの、

好きになれないものでありながら、

それを読ませる力を持っている人は、

後にのびる」と、文学界新人賞で

整が強く推したのは55年のこと。

 

反倫理的な内容や文章の稚拙さ、

誤字など多くの欠点が指摘され

賛否が分かれたわけだが、

彼はそーゆーキャラクターのまま

ずっと生きたのだな。

 

時代の寵児が時代の寵児を生んだ

ともいえるが、伊藤整の又甥に

漫画家・星野之宣がいる。

『ブルーシティー』『妖女伝説』など

緻密な構成と卓越した画力で

スケールの大きなハードSFの名匠。

彼は寵児の対岸にいる。

 

・・・と。

昨日とはまったく別の「整」の話。

コメント
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