前回のつづき
ブンタこと、顧問の菊地先生が、
念願(?)のユニフォームを採用したのは
1980年・・・
中国がIMFに加盟し、台湾が脱退した4月17日。
ジンバブエがその翌日イギリスから独立した。
韓国で光州事件が起きたのは翌月の18日。
7月19日、モスクワ五輪開幕。日本は不参加。
いや、日本〈も〉と言うべきか?
そして9月22日、イラン・イラク戦争勃発。
・・・僕が中学2年の年に、
上下黒。襟、袖が赤。
左胸の柿生の文字も赤で、ラインはなし。
歴代最弱と思われたチームだったが、
なぜか地区大会Bゾーンを、
春秋ともに勝ち抜いた。
そして最上級生になった我ら丙午の代は、
赤基調白ラインに変更。公式戦に弱かった。
一個下は紺地に白、翌年は再び黒赤……と、
毎年、ユニを変えていた。
ころころ変わるユニフォームでいえば、
プロ野球がナンヤカヤ理由をつけて
次々に様々なデザインを繰り出していて、
「ファンサービス」「金儲け」などなど
背景も多岐にわたるのでしょう。
確かに「違う色のも欲しいな~」とか
「復刻、渋くて良いじゃん」と思うこと、
あるけれど。それにしても多すぎ!
かつ、ハズレも多すぎ!!
って評価が七割はあるのではないか?
制作過程を是非覗きたいものだ。
弊ブログの一昨日に妄想したよーな、
展開があるのかしらん。
文中、野球とバレーボールのみなのに
写真はサッカーなのはご愛敬
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