犬吠埼と佐原を巡る旅 その4 の つづきです。
加藤洲十二橋めぐり
古くから水郷随一の名勝として知られる「加藤洲十二橋」を サッパ舟で巡るため 船のりばの有る 与田浦の水郷佐原水生植物園(水郷佐原あやめパーク)前に 到着です。
加藤洲とは 利根川下流の広大な三角州に 江戸時代の天正7年(1579年)、時の代官 吉田主馬の指揮で 新田開発がすすめられましたが 寛永3年(1626年)に整地された 利根川と常陸利根川に挟まれた水田地帯の一角の地名。
当時、1島2戸の暮らしだったそうで 隣家同士の往来のため地区内を流れる新左衛門川に 1枚板の簡単な十二の橋が架けられたところから 十二橋(じゅうにきょう)と呼ばれるようになったんだそうです。
水郷佐原あやめパーク前の船のりばから 定員13人のサッパ舟に乗り込み 与田浦を疾走、十二橋へ向かいます。
新左衛門川に入って行きます。
エンジンを切って 船頭さんのサオさばきで 狭い水路を進みます。
各戸 舟が交通手段だった かっての暮らしの跡形が残っています。
潮来遊覧船組合ホームパージから転載、
すいせん橋(水仙橋)、
しのぶ橋(偲ぶ橋)、
再び 与田浦から水郷佐原アヤメパーク前に戻り 水郷佐原観光も終わりです。
バスに乗り込んで うつらうつら、佐原香取ICから東関道、首都高速、中央道を順調に走り ほぼ予定通り帰還です。
天候に恵まれた 犬吠埼と佐原を巡る旅、
小さな旅でしたが いい旅が出来ました。
毎度のこと、おんぶにだっこ、
幹事や現役後輩諸君に 感謝!感謝!・・、です。
(おわり)
犬吠埼と佐原を巡る旅 その3 の つづきです。
北総の小江戸 水郷 さわら 街歩き
犬吠埼の宿泊先ホテルを午前9時に出発、
日中30℃超の真夏日を予感しながら バスは 利根川に沿って 水郷佐原に向かって走ります。
「お江戸見たけりゃ 佐原へござれ 佐原本町 江戸まさり」、
真夏の陽射しがふりそそぐ 千葉県香取市の佐原の町に到着、
暮らしの中に歴史が息づいている街中を散策します。
観光MAP
国指定 重要伝統的建造物軍保存地区、
小野川の両側には 有形文化財に指定されているような建造物が 軒並みに残されています。
江戸時代、河岸問屋、醸造等の商工業者が軒を並べていた地域、
三菱館、小堀屋本店、正文堂、中村屋商店、正上、急油惣商店、中村屋乾物店、福新呉服店 等々。
正上、
天保3年(1832年)建築、千葉県有形文化財、
素顔屋(すっぴんや)、
両岸に柳、風情有る小野川を船でめぐり、重要伝統的な建造物を眺めるのもオツ。
観光船が行き交っても 平然と泳ぐ コブハクチョウ(瘤白鳥)、
どうやら 小野川の住人?のようです。
伊能忠敬旧宅
パンフレットによれば 日本で初めて実測による全国地図を作った伊能忠敬は 上総国山辺郡小関村(現在の九十九里町)で生まれ 17才歳で 上総国香取郡佐原村の伊能家に婿入りしたんだそうです。
伊能家は 米の売買、酒造り等を営む大商家で 佐原村本宿組の名主を務めるような家柄でしたが 学問が好きな忠敬は 家業の合間に天文暦学の勉強を続け 49歳で隠居し 江戸に出て さらに本格的に勉強をしました。
55歳から 10回に分けて全国測量、その間歩いた距離は 3万5000キロ、地球1周分にもなりました。
測量の成果は 大日本沿海輿地地全図として結実しますが それは 忠敬が73才で亡くなった3年後に 弟子達によって為されたものだということです。
今回 見学しませんでしたが 直ぐ近くに 伊能忠敬の生涯や業績を紹介する 伊能忠敬記念館も 有ります。
樋橋(とよはし)、
江戸時代初期、佐原村の灌漑用水を東側から西側に送るため 木製の大きな樋(とよ)を作り 小野川に架けられもので 元々は 人を渡す橋ではなかったんだそうです。
水がジャージャー流れ落ちる様子から 「ジャージャー橋」とも 呼ばれていたそうです。今は 有る時間になると 流れ落とし その風情を伝えています。
八坂神社、
毎年7月と10月に行われる「江戸まさり 佐原の大祭」は およそ300年の伝統を引き継いでいて 国の重要無形民俗文化財にも指定されています。八坂神社は 小野川の東側の鎮守。小野川の西側の鎮守は 諏訪神社ということです。
八坂神社境内に有る 水郷佐原山車会館、
佐原の山車行事は ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
市営大型バス専用駐車場に集合し 「加藤州十二橋船めぐり」するため 与田浦に移動です。
(つづく)