不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

昨年の今頃だったか・・、

2018年06月20日 19時38分09秒 | 山歩記

gooブログから 丁度1年前に書き込んでいた記事が 届きました。
「昨年の今頃だったか・・・、」
記憶が蘇ってきます。

2017年6月20日の記事
「覚満淵(かくまんぶち)」

 
逍遥赤城山その7 覚満淵(かくまんぶち)
逍遥赤城山その6 からの続きその7 覚満淵(かくまんぶち)大沼(おの)の湖畔の宿から車で数分、赤城公園ビジターセンターに移動、駐車場に車を置き 覚満淵を歩くことにしました。......
 

 

コメント (6)

抜歯

2018年06月20日 15時45分08秒 | 健康・病気

またまた 歯が1本、無くなりました。
抜歯です。
数日前から 激しい歯痛に襲われて いつもの歯医者 K歯科医院に緊急予約を入れ、行って来ました。
母親譲りなのかどうか 元々 若い頃から 歯が弱く 歯医者通いが途絶えたこと有りませんでしたが K歯科医院とのお付き合い(?)は 40年以上にもなります。
可能な限り抜歯せずをモットーにしている歯科医で ダメそうな歯でも 頭をひねりながら 補修工事?、時間を掛けて 丁寧に処置し、うまく行くと 自分で うんうん、頷いて 満足気な顔をする、そんな医師なのです。
今は 息子さんが主になっていますが その方針は 受け継がれており さらに 信頼感を持っています。

そうは言っても 加齢と共に 「これ以上は無理」「お手上げ」の歯が 続出、
これまでも 何本かの歯が 抜歯せざるを得なくなり 10年以上前から 上下共 部分入れ歯を使っています。

今回の歯痛の原因は 長年 治療、補修工事?をしてきた1本の歯(被せてある歯)の歯根部分が破損、
やはり 補修工事?は 無理な状態、抜歯せざるを得ないとの判断なのです。
激痛から早く逃れたい一心も有り、即 抜歯手術です。
抜歯自体は 麻酔しての処置で 少しの我慢ですが たとえ被せた歯でも 1本無くなると 違和感 有り有りです。
出血止め綿は 1時間噛んだままでいるように指示され、鎮痛剤錠剤と化膿止めカプセルを処方され 先程戻ってきたところです。

記録を見せてもらいましたが 5年前の2013年5月に1本、7年前の2011年4月に1本、抜歯していました。
残っている歯も 頼りない歯ばかりですが 出来る限り 自分の歯、大切にしていきたいものです。
ちなみに 昨年11月に永眠した母親は 自分の歯は ゼロの状態でした。

コメント

「田舎のバス」

2018年06月20日 09時30分00秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

昭和30年代前半、M男は 北陸の山村で 1学年1クラスの小さな中学校に通っていた。
東と西に小高い山が連なり その間を 北の日本海に流れ込む川が走る盆地のような地形で 集落のほとんどは 山際に有り 水田の風景が広がっていた。
川に沿って県道(現在は国道)が走っていたが 当時は 自家用車等保有している家は皆無であり 走っていたのは 時々 貨物運送会社のトラックとか 商売用の車、1時間に1本とか、2時間に1本の路線バス位なものだったと思う。
当然 舗装等されておらず 乾いていれば 砂ほこりを上げ、雨が降れば 凸凹にたまった水を跳ねあげながら ガタガタ走っていく車の情景が 水田の彼方に見えたものだ。
M男の家は 一番近いバス停まで 歩いて15分~20分というだったこともあり 同じ位の距離に有った国鉄(現在はJR)の駅を利用することが多く、バスで どこかに出掛けることは まず無かった。

三方 山に囲まれたような地形だったこともあり ラジオの電波は極めて弱く、NHK第1放送が 雑音混じりで かろうじて聴ける程度であったが 茶の間の茶箪笥の上に鎮座していた中古のラジオは 家族団欒の中心的存在であった。
「ひるのいこい」「のど自慢」「三つの歌」「おとうさんはお人好し」「民謡を訪ねて」「とんち教室」・・、
祖母は 浪曲、母は 「君の名は」・・・、

記憶曖昧だが 多分 その年代に盛んにラジオから流れていた 三木鶏郎 作詞、作曲、中村メイコが歌っていた 「田舎のバス」を ふっと思い出してしまった。
M男は 当時 普通の歌謡曲とはちょっと違う 「田舎のバス」に 変な曲?位に 感じたり まさしく M男が 山村で見ているバスを 馬鹿にしている曲 位に 思ったものだが 今思えば 当時の田舎の情景、あの日あの頃を思い出させてくれる曲とも言える。

「田舎のバス」
YouTubeから共有させていただきました。

コメント (4)